ペストと犬の大虐殺

 ペスト流行時の犬の大虐殺についての論文を読む。文献は Jenner, Mark S., “The Great Dog Massacre”, in William G. Naphy and Penny Robert eds., Fear in Early Modern Society (Manchester: Manchester University Press, 1999), 44-61. 著者のマーク・ジェンナーは那須敬さんの先生。該博な知識を軽々とまとい、理論的なインスピレーションが散りばめられた論文は、ファンが多い。

 初期近代のペスト流行時のヨーロッパの都市では、市当局の命令により、犬猫、特に犬が狩り出されて処分された。ペストが街に現れると真っ先に実践された公衆衛生政策の一つである。鎖に繋がずに犬を戸外に放置することは禁じられ、違反者には罰金が課された。「犬殺し」が雇われ、殺した犬の数に応じて報酬が市の予算から払われた。数千匹の犬を殺したことに報酬を払った記録もあるから、大規模な防疫対策である。

 この「犬の大虐殺」は、歴史家の多くが軽い諧謔で済ませてきた問題であった。無害な犬を血眼になって殺して回って、後にペストを媒介することが明らかになるネズミを無視していたというのは、正直言ってこっけいである。犬を殺したせいで、かえってネズミが増え放題になったと皮肉の一つも言ってみたくなる。私も授業でそう言ってきた。

 これに対して、ジェンナーは犬殺しの社会的・文化的な深い意味を探る。犬殺しは当時のペスト対策の根本思想と原理を共有していたという。その思想とは、浮浪の禁止である。当時のペスト対策は、ペストそのものに向けられた対策という性格と同時に、社会秩序一般の維持という性格も持っていた。浮浪を禁止し、人々が居住地で規則正しく生活している空間を作り出すことが、ペスト時の対策と一般の社会政策の双方に見られる原理であった。出生した土地を離れて不安定な職を点々とする労働者や、主人宅から離れてうろつき歩く徒弟たちが、16・17世紀のペスト対策のターゲットであった。患者やその家族を自宅に監禁することは、人々を一箇所に固定してモニターする、いわば権力のユートピアではないか。そう考えると、街の通りをうろつく犬というのは、当時の社会の不安材料と同じ性格を持つ。飼われている家の人間からペストをうつされ、街路をうろついて感染を広める犬は、「マスターレスな」(主人を持たない)危険な浮浪者と同じではないか。だから、対策として特定された犬は「野良犬」であって、貴族の狩猟用のグレイハウンドや、ご婦人方が愛玩するスパニエルは、対策から除外されていたという。