アメリカの非正規医療

 アメリカのカイロプラクティックといえば・・・と思い出して、未読山の中から論文を引っ張り出して読む。文献はBrindle, Margaret, and Elizabeth Goodrick, “Revisiting Maverick Medical Sects: the Role of Identity in Comparing Homeopaths and Chiropractics”, Journal of Social History, Spring, 2001, 569-589.

 19世紀には alternative medicine の全盛時代であった。薬物をごく微量しか使わないホメオパシー、万病のもとが脊髄にあるとするカイロプラクティックなど、数々の非正規医療が栄え、各々の団体を作ってセクト化していた。代替医療の全盛期には、アメリカで「医者」を名乗る治療者のうち、少なく見積もっても1/3から1/4がセクト系の治療者で占められていた。今の状況からは想像もつかないが、代替医療の挑戦は正規医療の存否に係る深刻な問題であった。この状況は1880年から1920年くらいにかけて、正規医療の厳しい建て直し(痛みを伴う改革、という奴だろう)によって大きく変化した。正規医療による教育と病院の独占が顕著になっていく。このあたりの歴史は、私自身は教科書程度のことしか知らないが、単一の医学理論システムが、医学研究と教育の重要な部分を独占していく現代へ至る重要な過程として、集中的に研究されている。

 この論文は、対照的な二つの過程をたどった二つのセクト系医療を取り上げている。方法論上の主な力点は、組織理論の中の「アイデンティティ理論」を使ったということである。私は寡聞にしてこの理論の背景を知らないが、二つの医療セクトが、主に正規医療に対して異なったものとして、あるいはそれと似ているものとして自らを定義した仕方に着目して、二つのセクトがたどった運命の違いを説明している。整理して言ってくれたのはありがたいけれども、正直いってどこが新鮮な視点なのかよく分からない。

 ホメオパシーの方は、すでに1820年代にはドイツから輸入されてアメリカに定着したように、その起源が比較的古く、強力であったから、自分たちの医学校・雑誌・団体を持っていた。正規医療に対抗するために科学としての装いを整えていたのである。この「模倣」の戦略があだになって、ホメオパシーの内部ではアイデンティティをめぐる分裂があった。独自性を打ち出すのか、勝ち馬に乗るのかという意見の相違が激しかった。一方で、1895年にD.D. パーマーというアイオワの八百屋が始めたカイロプラクティックの方は、そもそも正規医療の模倣をめざしていなかった。彼らは病院や大規模な学校などの科学的な装いをもたないまま、正規医療の弾圧をしぶとく潜り抜けて、繁栄していった。1950年には全国で16000人の術者を要する大規模な集団になっていたという。