梅毒と離婚訴訟


19世紀後半の離婚訴訟に現れた梅毒感染の研究を読む。文献はSavage, Gail, “‘The Wilful Communication of a Loathsome Disease’: Marital Conflict and Venereal Disease in Victorian England”, Victorian Studies, 34(1990), 35-54.

19世紀の後半の梅毒は、少なくともイギリスにおいては社会の根本原理を変えるきっかけになった病気だった。「ダブル・スタンダード」という男女の差別を表すのに一般化している概念が定着して広まったのは、梅毒の蔓延を防ぐために売春婦だけを処罰して男性の行動を不問に付した悪名高い法律、「感染症予防法」(Contagious Disease Act)に対する反対運動の結果であった。この法律は 1860年代に三度にわたって(64年、66年、69年)立法化され、それに対する広範な反対運動は、近代フェミニズム運動の重要な起源の一つである。この運動とその主導者のジョセフィン・バトラーについての研究は、それこそ山のようにある。

これらの研究は、公的な場における性病をめぐる議論を扱ったものである。一方で、私的な場における梅毒感染がどのように夫婦関係を変えたかという問題は、あまり研究が進んでいない。この論文は、1858年から1901年までの離婚訴訟のファイルを読んで、そこに現れる梅毒・性病の役割を分析したものである。簡単な数字を示すと、サンプリングした離婚などの申し立ての約10%で性病が言及されている。当時の法律用語で言うと、梅毒を感染させたことが<虐待行為>になるかどうかという判断を裁判所は迫られたのである。申し立ての中で梅毒に言及したのは、上流・中産階級の割合のほうが高いが、労働者階級でも存在する。より重要なのは、梅毒感染を離婚理由に含めた申し立ての82%が女性によってされていることである。離婚申し立て全体において、女性による申し立ては41%であることを考えると、この割合は非常に高い。梅毒感染は、女性が離婚を主張するための有力な武器の一つになった、というのが著者の結論である。女性参政権論者のクリスタベル・パンクハーストの有名な言葉

「女性には投票権を、男性には純潔を」
(Votes for women and chastity for men.)

の背後には、それぞれの家庭において、売春婦から夫を経由して性病を移された妻たちがいたのである。

カレン・ブリクセン(アイザック・ディーネセン)の 自伝小説Out of Africa の映画化で、メリル・ストリープ演じる主人公が、放埓な夫から梅毒を移されて子供が産めない身体になったシーンがあった。現代ではあちこちの家庭でAIDSが似たような悲劇を生み出しているのだろうな。

図は本論文より。なんてシンプルでインパクトがある図表なんだろう。