『赤ひげ診療譚』

授業の準備で山本周五郎赤ひげ診療譚』(新潮文庫)を読む。1958年の『オール読物』に連載され、私は観たことがないが(またこれか・・・苦笑)、黒澤明監督で映画化(『赤ひげ』1965年)もされた。

 ブラック・ジャックをのぞけば、日本で一番有名な医者は「赤ひげ」だろう。この小説では「赤ひげ先生」という言い方は殆ど出てこない―もしかしたら一回も出てこない―が、「赤ひげ先生」と呼ばれる、あるいはそう自称するお医者さんは日本中、あるいは世界中に無数にいる。ちょっと検索をかけてみたら、大阪の赤ひげ先生、知床の赤ひげ先生、女赤ひげ先生、ニューヨークの赤ひげ先生、ホンジュラスの赤ひげ先生・・・「六本木の赤ひげ先生」は少なくとも二人いて、うち一人は『セックスが地球を滅ぼす』という本を書いている。

 江戸の小石川養生所の所長で、無愛想だが、社会のゆがみと人間の愚かさと醜さへの洞察に満ちた初老の医者、「赤ひげ」こと新出去定(にいで・きょじょう)がタイトルロール。主人公の保本登は若い医師で、医師としてのエリートコースを約束されていたが、長崎遊学中に許婚に裏切られ、助教授・・・じゃない(笑)、幕府の高位の医者に推薦するという約束も反故にされて、傷心のまま養生所で貧民への施療に携わることになる。登はこれを大いに不服として自暴自棄的な生活を送り、去定にもことあるごとに反抗するが、次第に去定に惹かれ、貧乏人たちへの施療に生甲斐を見出すようになる。そして許婚の妹で、決して美人ではないが賢く誠実な娘と結ばれ、養生所の医者として一生を捧げる決意を固めるところで小説は終わっている。

 ネットで垣間見た無数の「赤ひげ先生」たちから漠然と持っていたイメージに較べて、原作は非常に陰影がある魅力的なキャラクターである。かつて、若い理想に燃える多くの若い医者たちをインスパイアしただけのことはある。 赤ひげも登も、ワンダードラッグを駆使しメスさばきも鮮やかな治療の名人ではない。そこがブラック・ジャックと違う。貧しい患者が前向きに生きていけるような(笑)言葉をかける達人でもない。彼らはどちらも、病気、貧乏人の醜さ、社会の矛盾だけでなく、自分自身と闘っている。自分の暗い過去、自分の脆弱性と闘って、そしてそれについては多くを語らない。 

面白かった引用を二つ。一つは末尾の去定の台詞である。

「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ」 

この台詞が書かれた時代から半世紀、医学の治療能力が目ざましい進歩をとげたことは疑いない。しかし、日本の文化で最も魅力的で有名な医者は、自然治癒力しか頼るものがないと腹を括っていたことも事実である。エドワード・ショーターが聞いたら大喜びしそうなエピソードである。 

 もう一つ。これも末尾の近く。去定の台詞である。若い登が、養生所の医者として生きていく決意を去定に伝えてときに、医は仁術だと言ったのに対する激しい対応である。

「何を云うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った。「医が仁術だと」そうひらき直ったが、自分の激昂していることに気づいたのだろう、大きく呼吸をして声をしずめた、「医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、えせ医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ」

「医は仁術」という科白をこうまで皮肉に取ろうとは私は思わないけれども、この言葉が、医療の目標を明らかにするというより、覆い隠す作用の方がはるかに大きいことは事実だと思う。この言葉を結論に持ってくる文章が、医療に対する知的な分析を含んでいることは滅多にない。和名類聚集の「医は病を治す工(たくみ)なり」という言葉を検討したほうがはるかにためになると私はずっと思っている。この去定の言葉には思わず烈しく同意した(笑)。