『レディ・チャタレー』

 映画『レディ・チャタレー』を試写会で観る。パスカル・フェラン監督、マリナ・ハンズ、ジャン=ルイ・クロック出演のフランス映画で、今年の秋よりシネマライズでロードショー。

 私は初めて知ったのだけれども、D.H. ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』には、かなり違う三つのヴァージョンがあるそうだ。普通私たちが知っているのは第三版で、この映画が元にしているのは第二版とのこと。第二版にもとづいたこの映画は余計なエピソードを剥ぎ取って、チャタレイ夫人と森番の愛がゆっくりと深まっていって、二人の間に無垢な官能の喜びが共有されるに至る過程が描かれている。二人のラブシーンは全部で六つあって(つまり、映画のかなりの部分がラブシーンで占められるということだけれども)、これらの描き分けが面白かった。特に最後のシーンで、森の空き地を大雨に打たれながら全裸の二人が走り回り、その後で互いの体に野の花を挿して飾る場面は、まるで道徳の教科書を読んでいるかのような堅固なシンプルさを持っていた。

 会場にはロレンスの研究者たちが大勢いて、彼らは第二版の映画化ということで盛り上がっていた。ロレンス研究のホープだと紹介された女性と並んで観ることになったので、鑑賞のポイントを教えてもらおうかと思って、第二版の特徴は何ですかと聞いたら、「第二版は、長編小説におけるロレンスというより、詩におけるロレンスの特徴が良く出ています」とのこと。どちらのロレンスもよく分らない私は、彼女のアドヴァイスに従うのを諦めて、チャタレイ夫人が「生命力の欠如」でガンになりそうだとか、ソンタグはこのエピソードを書いているかしらとか、そういったことを重点的に鑑賞していた。隣の彼女は、ここぞというところでは、フランス語の台詞を英語の原文に戻して口の中でつぶやいているのか、詩におけるロレンスの特徴を存分に楽しんでいるらしかった。正直言って、かなりうらやましかった。

 無駄話を少し。25年前の話になるけれども、シルヴィア・クリステルが主演した『チャタレイ夫人の恋人』を観た。合コンで知り合った女の子と最初のデートの時に見た映画で、初めてのデートにふさわしくない作品であることはわかっていたけれども、ある種の不可抗力が働いて、私がこの映画を見ようと主張する成り行きになってしまった。案の定、初めてのデートで緊張している二人の学生が盛り上がるには程遠い内容で、映画を観た後の会話は重苦しかった。2回目のデートの時には、彼女は『ロッキー3』を観ることを声高に主張して、私も喜んでそれに従った。私たちは感動的なボクシング映画を観た後で、シリーズの前作との優劣についての紋切り型の批評を熱心に述べ合い、このデートは成功したという達成感に浸った。デートが本当に成功したのか、それとも『チャタレイ夫人の恋人』の亡霊がパンチで吹き飛ばされただけかは、よく分らなかったけれども。