チャイナタウン(サンフランシスコ)の公衆衛生


19世紀から20世紀のサンフランシスコのチャイナタウンの公衆衛生を論じた著作を読む。文献は Shah, Nayan, Contagious Divides: Epidemics and Race in San Francisco’s Chinatown (Berkeley: University of California Press, 2001).

 19世紀の後半のサンフランシスコに住み着いた中国人の移民は、同市の公衆衛生にとって呪わしい存在であった。天然痘、梅毒、ハンセン病、ペストなど、ありとあらゆる感染症が中国人と結び付けられた。同市の中国人たちの生活形態は、独身男性の共同生活や女性だけの世帯が多く、アメリカ白人の中産階級から見て規範的な家庭でなかったため、売春を含めた非衛生的な環境を生むとされた。中国人の生活習慣も、反衛生的であって病理的なものだとされた。「モンゴロイドの文明は、本質的に反衛生的なものである」と批判され、人種・民族概念の中枢に「不潔さ」「病気へのヴァルネラビリティ」が書き込まれた。この不潔な人種は危険な人種でもあって、規範的な市民である白人の中産階級に病気を感染させる存在であると考えられていた。「チャイナタウン」という空間自体も、この思想が生み出した人種による隔離的な住み分けであった。

 しかし、1930年代には、チャイナタウンの住民たちによって、その地域の貧困や高い有病率などが明らかにされ、そのメカニズムが研究されるとともに、母子保健、結核クリニックなどを通じて、中国人を「市民」の中に組み込もうという動きが定着する。これは、かつてのような排除的(exclusive)な市民社会の概念から、包摂的(inclusive)な市民権の概念が現れたことと関係が深い。

画像は1882年のサンフランシスコの新聞(週刊誌?)より、「サンフランシスコの三人の女神」。 ハンセン病天然痘、マラリアの「死」を象徴するおぞましい女神たちが、「チャイナタウン」を裳裾にしてサンフランシスコを覆っている。