戦後日本の核物理学

必要があって、戦後日本の核物理学者たちの公人としての活動を論じた書物を読む。文献は、 Low, Morris, Science and the Building of a New Japan (New York: Macmillan, 2005)

 戦前から戦後の日本の核物理学者7人の社会的な活動を丹念に跡付けた研究書。戦前から戦中にかけて、サイクロトロンを建設し原子力の軍事利用も手がけていた仁科芳雄に始まって、坂田昌一武谷三男といった物理学出身でマルクス主義の社会活動家、湯川秀樹朝永振一郎というノーベル賞を受賞した純粋理論家でありながら、政府の委員会や平和運動で活躍した科学者のほかに、嵯峨根遼吉と早川幸男という、恥ずかしながら私が名前を聞いたこともないけれども、戦後日本の原子力などの巨大科学の政策に深くかかわった学者たちの研究。戦後日本の科学者が、政府の活動、科学者の組織、そして市民活動などにかかわるありさまが丁寧に書かれている。とてもいいリサーチに基づいた本である。

 問題は、この科学者たちが研究者としてではなく公人としての役割を果たすようになったのは、彼らが「サムライ」文化の中にいたからだという、書物全体をまとめる主張になる部分である。仁科や湯川や朝永の家系をたどると確かにサムライ階級なのかもしれない。だからといって、彼らの公人としての行動がサムライの行動規範に基づいたものだという主張は、控えめにいって唐突である。 

 著者は外国人で、日本人の色々な行動を一定のステレオタイプにあてはめて理解するディズニー的な悪癖に染まっているのではないかとすら思う。そのうち、日本の女性政治家たちの行動規範はゲイシャのそれであるとかいう日本研究も出るかもしれない(笑)。 でも、いま話題になっている防衛大臣の行動は、もしかしたらゲイシャっぽいのかもしれない・・・ って、これはゲイシャという職業についている人と一度も話したことがない人間の空想というか妄想だけれども(笑)。