明治の診療依頼

 未読山の中から、東大医学部草創期の重鎮で、明治天皇侍医長であった池田謙斎のもとに送られた書簡集を読む。文献は池田文書研究会編『東大医学部初代綜理池田謙斎』上・下(京都:思文閣、2006-7)。

資料的価値が非常に高い文書を編集した労作。東大医学部の「綜理」(学部長のようなものだろうか)としての活動、著名な医療行政官との国政レヴェルの交渉なども重要だけれども、何よりも、天皇の侍医長として当時のエリートに人気があった開業医としての手紙が数多く収録されているのが嬉しい。すぐに仕事をするわけではないけれども、一つ一つ思わず力を入れて読んでしまって(笑)、いくつも気がついたことがあった。

例えば次の六通の池田が受け取った手紙、木戸孝允犬養毅槇村正直貴族院議員だそうです)、井上馨榎本武揚西郷従道の家の小児(子供かもしれないし孫かもしれない)の病気を伝えるものがある。

明治?年11月27日 
謙斎先生 御直被 孝允
 その後、ご清安で奉り喜び候。 一昨日より小児時々腹痛にて甚だ難渋いたし申し候あいだ、何卒ご来診お願いしたく、申し上げ候。 草々頓首 

明治?年1月10日
池田謙斎先生 犬養毅 
拝啓 小児(一年六ヶ月) 一両日来発熱、昨日より発疹いたし候にて、非常の発熱にござ候 老台にはご保養中とのおんことにつき、甚だ申し上げ兼ね候ども、ちょとご来診くださいますよう、お願い申し上げます。

明治?年6月2日 
槇村正直 
芳子病気に付き、過刻御来診奉願候ところ、その後泣きも止み、牛乳沢山に飲み候、この都合に候へばご来診をわずら

明治x年3月2日
[略] 美津子のこと、麻疹満身に顕出候て、咳も頻り、熱も相生し候あいだ、明朝お見舞いくだされたく候 
[井上]馨
謙斎先生 坐下 

明治x年10月3日
愚息儀(本年満16才)四、五日前より喉気にて、学習先より籠帰居り、昨夕来熱度四十度ニ、三分までに上がり、煩悶いたしおり候につき、[中略] お見舞いくだされたく、あい願い候。
[榎本] 武揚
池田先生 閣下 

明治x年11月14日
謹呈 小児の儀、昨夜腹痛の様子にて、啼泣し候につき、本日御来診くだされ候はが、幸甚の至にござ候。 頓首
西郷[従道]
池田謙斎様


朧月夜さんから、問題の意味が不明であるという手厳しいご批判(笑)を頂いたので、少しヒントを増やしました。 

「医者が患者の家に来診している」ということ、「医者への連絡に手紙が使われていること」以外に、この六通の手紙に共通する、現在とは大きく違う、とても面白い特徴があります。 (・・・というか、あると思う、ですね、これは。) それは何でしょうか? 

これは、クイズというよりも、医学史の試験問題に出してもいい、ちょっと真面目な問題です。  

これは・・・ お医者さんのぎゃおすさん・おとぼけ女医さん、宿題をやって実力を蓄えた森羅万象さん、クイズなら絵画でも医学史でも何でもござれのきいちごさん、などから、正解が出るのではと私はにらんでいますが・・・ (笑)