AIDSと自己と他者

 未読山の中から、自己論をAIDSに応用した古典的な論文を読む。文献はCrawford, Robert, “The Boundaries of the Self and the Unhealthy Other: Reflections on Health, Culture and AIDS”, Social Science and Medicine, 38(1994), 347-1365.

 1980年代のAIDSの流行と、それがアメリカで惹き起こした同性愛をめぐる「政治」は、無数の学問的な研究がある。単純に差別反対を唱える学問的にナイーブな著作も多いと思うけれども、この論文は面白い理論的な仕掛けを使っていて、読み応えがあった。

 この論文の著者によれば、AIDSが市民運動になり政治化された背後には、<健康>がアメリカの中産階級のアイデンティティの中核をなしていたという事態がある。<健康>は歴史上ほとんど常に望ましいことであり、多くの人々が願っていたのは間違いないが、近代以降<健康な身体>の意味合いは大きく変わっていることは、エリアスとかバフチンとかフーコーなどの無数の歴史家や社会学者が指摘している。

 1970年代以降のアメリカでは、さらに健康の意味が変質して、人生において何かを達成するための条件というよりも、ある個人の望ましい属性を現わす記号になったという。健康は、成功者であること・自己管理ができる人間の<しるし>になったという。そのため、<健康であること>は、自己のアイデンティティの重要な賭金になる。自己と自己でないものを区別し、自己の境界を引きなおし、自己の内部を構成しなおすためのプロジェクトの一環の中に<健康>が取り入れられる。この健康と自己の新しい関係をベースにして、AIDSをめぐる激しい政治化が繰り広げられた。