「魂の医学」


初期近代ドイツの宗教的メンタルヘルスケアの研究書を読む。文献は、Lederer, David, Madness, Religion and the State in Early Modern Europe: a Bavarian Beacon (Cambrdige: Cambridge University Press, 2006). マクドナルド、ミデルフォートの書物と並ぶ、高水準の洞察が散りばめられた書物で、どの時代・地域であれ、精神医学の歴史の研究者の必読書になるだろう。

 豊かな内容の書物だが、コアになるテーゼは明瞭。ドイツのバヴァリアを取り上げて、反宗教改革(バヴァリアはカトリックだった)の後の領邦国家による国民の宗教的な教化政策の中で、現在の言葉でいうところのメンタルヘルスケアの諸相を見るもの。こういう問題設定に対して、アナクロニズムだと条件反射的に反発する歴史学者も多いと思うけれども、この書物を読むとそういう印象は持たない。むしろ、「当時の文脈の中で理解する」ことを金科玉条にする歴史学が陥りがちな狭隘な好古趣味を乗り越える一つの道が示されている。と言っても、特に目新しい方法論があるというのではなくて、資料を広く・深く・的確に読んでいるだけだけれども。

 反宗教改革の後に、バヴァリアでも告解が義務付けられることになった。(告解を強制する行政的なメカニズムが整ったというほうがきっと正確だと思うけれども・・・このあたりの事情、たぶん基本が分っていない。)これは、民衆の教化政策であり異端を狩り出す監視であると同時に、民衆にとっては新しい魅力がある社会的な場が作られたことを意味した。プライヴァシーがある空間で、聖職者を独占して自分の心の内奥の悩みを打ち明けることができるのである。告解は民衆に人気があり、そこでは心理的な<いやし>を得ることもできた。同じように領邦国家の宗教政策の一環として、巡礼地が再興され、巡礼は17世紀にリヴァイヴァルを遂げた。「聖人の診療科の分業」の原則(笑)に応じて、これらの巡礼地の中には精神の苦しみに特化した聖なる社も二つあった。これも国家の宗教政策と民衆の需要が合致して生じた、「魂の医学」であった。国家が直接間接に推進した悪魔祓いも、これと同じパターンを見せた。

 しかし17世紀の後半になると、バヴァリアのエリートたちは、聖なる力の発現により民衆を統治し、民衆の心に支配を届かせようとする、かつての方針に対して懐疑的になっていた。世俗の権力だけでなく、イエズス会などの聖職者たちも、バロックの神聖な力のドラマトゥルギーを不信の目で見るようになっていた。しかし民衆たちは、悪魔祓いや巡礼への需要は残っていた。ここに「啓蒙の構図」、すなわち世俗の力で人間の心をいやそうとするエリートと、神聖な力を信じ続ける民衆の対立が出現する。

画像は、ペーター・ブリューゲル(父)より。 巡礼地に音楽とともに連れて行かれる狂人。