ドイツの種痘

 19世紀ドイツの種痘を論じた古典的な論文を読む。文献はHuerkamp, Claudia, “The History of Smallpox vaccination in Germany: a First Step in the Medicalization of the General Public”, Journal of Contemporary History, 20(1985), 617-635.

 天然痘に対する種痘は、一般大衆に専門職が管理する医療がいきわたった第一歩であり、「教養ある医 学」が人々の生活の中に浸透した最初の確かな例である。この論文は、この過程を、19世紀のドイツを例にとって、国家・医者・民衆の三者の関係の中で分析したもの。

 当時の国家は人口こそが国富の源泉であるという経済思想に基づいており、多くの死者を出していた(18世紀末には死者の8%くらい)天然痘を予防する比較的確かな手段が判明したことは、これらの国家にとって福音であった。バヴァリアのようにいち早く強制種痘に踏み切った国家、プロシアのように強制種痘に慎重だった国家などの違いはあるが、総じて種痘を受けさせる方向で進んでいた。 医者たちは、国家制度の中での自らのプレステージを上げ、広範な客層と接触するために、これまた種痘を推進した。

 民衆の中からはしかし、種痘の効果を疑義なく証明する統計がないこと、当時腕から腕へと植え継がれて行われていた種痘によって別の病気が感染する危険があること(1876年には、数十人規模の種痘に由来する梅毒の大量感染があった)、そして子供の身体に関して親が持つ権利を超えて国家が子供の身体に権力を振るうことに対する疑義などから、懐疑的な意見も出されていた。1874年にビスマルク帝国議会に種痘を強制化する法案を提出したときには、社会民主党やカトリック中央党を中心に反対の声があがり、183対119という意外に僅差での議決であった。