水界民の歴史

 必要があって、川喜田二郎『素朴と文明』(東京:講談社学術文庫、1989)を読む。

 日本の文明の歴史は「水界民」の活動が作ってきたものであると主張する本。海・川の地理的な視点の重要性を説き、北方のシベリア・アムール、南方の中国や東南アジアなどと一つながりの地域・海域の中で日本列島を理解し、国内では海や川や湖などの大きな役割を指摘する。今では砂漠になっている西トルキスタンに、かつては茫漠と広がっていた海のように大きい一大淡水湖が、ユーラシアの水界民の共通の祖先であり、そこで培われた湖のほとりの生活がシベリアや東南アジアにもたらされたという。そして、南北から海を渡って日本に移住した民族は、造船や畑作・稲作などの文化や制度をもたらし、日本列島の海や川や湖などを縦横に往来してその文化を各地に伝えた。日本の先史時代・古代から近世・近代までの文明を、「ウオーターフロントの文明」として捉えている。この「ウオーターフロントの文明史観」と対比されるのが、中国大陸の陸上の文明を中心とする見方である。「陸の文明」である中国文明と同一化しようとした日本の知識人は、長きにわたって水界民の貢献を不当に低く評価してきたと、筆者は連呼する。

 この書物の主題である、日本民族の起源や、西トルキスタンにかつて存在した巨大湖(笑)や、文明の生態史観と直接かかわることはもちろん考えていない。「水界民」という民族的な概念そのものを使おうとも思っていない。しかし、これは面白い使い方ができる概念である。筆者が水界民の貢献を強調するのに対して、私が考えているのは、水界民が持っていた水系感染症へのヴァルネラビリティである。外国から輸入されたコレラは、漁民、水上交通に従事するもの、そして船から荷物を陸揚げする労働者など、ウオーターフロントのループを伝わって地理的に拡散し、そこから陸上のサーキットに入って街や村の井戸や洗い場などを通じて伝播したことはほぼ間違いない。(ループとサーキットの二層構造というのは、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリが使っている概念で、地理的に長・中距離の伝播と、ある地域の中での短距離の伝播を分けて考えることを可能にする概念である。)