フィリピンにおけるアメリカの植民地医学

フィリピンのアメリカ植民地医学を論じた書物を読む。Anderson, Warwick, Colo-nial Pathologies: American Tropical Medicne, Race and Hygience in the Philippines (Durham: Duke University Press, 2006). 

アンダーソンは植民地医学史の論客の一人。「白豪主義」の理念のもと、オーストラリアの北部にある熱帯性の気候への白人の植民可能性を論じたThe Cultivation of Whitenessは必読図書。この書物は、米西戦争の後にアメリカの植民地となったフィリピンにおける植民地医学を論じたもの。

一つ、笑い話のような実験を。1900年にアメリカの植民地支配が始まったときには、白人は熱帯の気候のもとで長く暮らすと衰弱し、有色人種は熱帯に強いとされていた。フィリピンに駐屯するアメリカ兵はいわゆる黒人から採用されるべきだという意見もあったほどである。医者たちは、白人の何がいけないのかを実験によって突き止めることに乗り出したが、調べることはたくさんあった。ぱっと思いつくのは肌の色の違いで、原住民は肌の色が濃いから体温の上昇が防がれるのではとか、その程度の発想から、手当たり次第に実験が始められた。

1907年に始められた実験は、現在ならイグノーベル賞間違いなしである。熱帯の太陽のもとで、濃い色の肌をしていることが健康にどんな影響を与えるかを実験するために、500人ほどの白人の兵士が選ばれ、彼らはオレンジ色の下着を着せられて体重や白血球数、血圧などがモニターされ、白い下着をつけた対照群と比較された。この下着はしかし、暑苦しくて着た感じも良くないと非難ごうごうで、検査の成績もむしろ白い下着の対照群のほうがよかった。実験としては意図したところとは違ったが、肌の着色は関係ないらしいという合意が作られたという。

この本も間違いなく必読書だろう。この本を最初から読んでいくと、植民地の歴史やポスト・コロニアル・スタディーズで使われているメジャーの理論モデルをどう使えばいいのかが実演されていて、とてもよく分る。同書は、優れたイントロダクションのあと、1・2章が、米西戦争におけるアメリカ軍の軍陣医学を論じ、植民地政策にその影響があったことを示す。3章は1920年近辺におきたパラダイム・シフトで、熱帯の気候から熱帯の病原体へと熱帯に移住した白人が不健康な理由が説明されたこと、4章が原住民の排泄の習慣を改革することが目標にされた話で、ダグラスの「汚穢と禁忌」のモデルを使っている。5章は熱帯神経症、熱帯の気候そのものが白人を病気にするわけではなくなったので、かつては熱帯に暮していれば仕方がないと思われた熱帯神経症が、その個人の人格上の欠落を現わすものとされたという話。6章はらい病院の話で、らい病院に閉じ込めることは、「文明の市民権」を与えることであったという逆説。7章は鉤虫症対策の分析で、植民地の改善を「ミミクリー」と捉えるホミ・バーバの視点を使っている。8章はマラリアと環境史の視点。