観相学とヨーロッパ近代の「ジプシー」


観相学のついでに、未読山にあったPorter, Martin, Windows of the Soul: the Art of Physiognomy in European Culture 1470-1780 (Oxford: Oxford University Press, 2003)を引っ張り出してジプシーについての章を読む。

ルネッサンス期の文芸復興運動の中で、古典古代の重要なテキストが「再発見」されて再評価され、新しい知的潮流を生むこととなった。同様に、観相学も失われたテキストと古典古代の学問の復興という性格を持っているが、この章では教養があるエリートの伝統とは違って、文盲と言ってもよいグループによって行われた観相術を論じている。観相術を担ったそのグループとは、いわゆる「ジプシー」である。

観相術が遍歴する人々によって担われていたことは疑いない。16世紀・17世紀の多くの記述が遍歴する観相術を営むものの存在を記している。中には16世紀にヨーロッパに移住してきたと考えられている、いわゆる「ジプシー」も含まれていた。ジプシーについては、事実と偏見と神話を区別することが非常に難しいが、彼らが手相読みや占いと並んで観相術も行っていたことは確実だろう。当時のジプシーを描いた絵画では、手相読みの主題が突出して多いが、そのいくつかでは、ジプシーは手相を読んでいるだけではなく、客の顔を見て観相術を行っているとされている。カラヴァッジオの「ジプシーの占い」もその一つである。このジプシー娘の目は、観相術で表情を読み取ろうとしているようには見えず、どちらかといえば色目を使っているようだが、きっと「それがツボ」なんだろうな。

ジプシー論のところよりも、観相学の流行は近代ヨーロッパの「汝自身を知れ」(Nosce Teipsum) と関係が深いこと、占星術がいうところの、誕生の時にいったん定められた人格なり運命なり体質なりは、変えることができるのかという話に短く触れていて、これもインスピレーションに富む議論だった。書物の余白の書き込みや落書きを分析した章もあって、ディープなスカラーシップと深い洞察を流れるように展開した傑作である。