アンリ・ミショーのメスカリンI

ハクスリー、ベンヤミンを読んだついでに、ハクスリーとならぶもう一人のメスカリン実験の巨人でフランスの詩人・画家のアンリ・ミショーを調べる。まず伝記に目を通す。文献は小海永二『アンリ・ミショー評伝』(東京:国文社、1998)

ハクスリーがメスカリンの服用実験をしたのと同じ1954年に、フランスの詩人のアンリ・ミショーもメスカリンの実験を始めていた。ミショーの場合は、1928年から1935年にかけて、エーテルを服用した経験もある。エーテル服用の動機は、ミショー自身の言葉によれば「もっと<私>を失いたい、ぜひとも裸になって空無の中で震えていたい」というものであった。1928年のエーテルの服用のときには、エーテルの強烈な効果について、エーテルが全速力でやってくると、その相手である<私>は空間の中で引き伸ばされ、巨大な大きさにされると記している。時代を反映して「速度」に魅せられている。

1950年代のメスカリン実験は、知人の精神科医と何人かの友人の立会いのもとで行われた。ミショーはその経験を150枚ものノートにとり、1956年に『みじめな奇跡』として出版した。その後、彼は健康を害しながらも実験を継続し、1966年までに合計5冊のメスカリンや他のドラッグの体験の記録を残している。この実験を行い継続した理由として、ミショー自身は、メスカリンを通じて、自分も含めて全ての人間は自分の中に「極めて重要な何か」を持っていることを発見したからだ、人間というものをもっと敬虔な態度で扱わなければならないということに気づいたからだと言っている。また、この経験を表現しようとして、言語という媒体の限界を改めて強く意識することになったミショーは、この後に絵画に表現の重心を移したという。

本書中に引用されている『みじめな奇跡』からの抜書きを少し。

「熱帯の海の岸べ、目に見えぬ月の銀色に輝く光の、無数のまばゆい閃きの中、絶え間なく変化しながら、揺れ動く波のうねりの中に・・・沈黙のうちに砕け散る波、閃く水面のかすかな振動の中に、光の班点に苦しめられながら往復する急速な運動の中に、輝く輪と弓と線とによって引き裂かれる中に・・・私の冷静さが、振動する無限世界の言語によって千度も冒され、無数のひだを持つ巨大な流動状の線の群によって正弦曲線状に侵蝕されるなかに、わたしはいた」

・・・メスカリンを服用した上で教育改革のプランを熱く語るハクスリーとはなんて違うんだろう。詩人と評論家の違い、フランス人とイギリス人の違いなんだろうか(笑) 

著者の小海永二は、ミショーの個人全訳も出しているミショーの碩学で、この評伝は深い学識に基づいた好著。それから、ミショーの作品の展覧会は2007年の夏に国立近代美術館で開かれた。映画を見ないだけじゃなくて展覧会にも行かないのかと呆れられそうだけど、私はこの展覧会の存在そのものに気がつかず、行っていません(涙)