「熱帯」という概念

熱帯医学の歴史研究の第一人者による「熱帯」概念の形成をコンパクトに論じた論文を読む。文献は、Arnold, David, “The Place of ‘the Tropics’ in Western Medical Ideas since 1750”, Tropical Medicine and International Health, 2(1997), 303-313.

「熱帯医学」tropical medicine 「熱帯病」 tropical disease というのは、実は厄介な概念である。熱帯医学の父といわれるパトリック・マンソンは、1897年にロンドンのセント・ジョージ病院で講演をして、イギリスが熱帯地方に帝国を広げていること、そしてイギリスの医学部(厳密にはイングランドとアイルランドの医学校)の卒業生の1/5が、人生のある時期で熱帯での医療に携わるにもかかわらず、熱帯での医療について組織的な医学教育を受けていないことを、あらたに「熱帯医学」という新分野を確立する二つの大きな理由としてあげた。しかし翌年に出版された教科書の中では、マンソンは「熱帯の病気」と言ったときに何を扱い、何を除外すればいいのかというのは、実は難しい問題であると吐露している。熱帯医学とは、熱帯に存在するすべての病気をもれなく教えるコースではない。また、熱帯という緯度によって定義される地理的な範囲ではなく、高温多湿という気候学的に定義された地域を問題にしている。さらに、ペストやハンセン病のように、ヨーロッパでは事実上根絶された病気が熱帯医学の重要な主題になることから、熱帯病とは非文明的な生活をする人々がかかる病気であった。熱帯病は後進性のしるしであり、気候の間接的な結果であった。マンソンらの「熱帯」の定義においては、気候と文化・道徳の境界はあいまいになり、熱帯病は「熱帯的な気候の非文明的な生活がもたらす病気」とされた。「熱帯」というのは、物理的な定義をされる一方で、その実、概念的な空間であった。現在の「熱帯医学」の教科書においても、たとえば熱帯にきわだって多い病気としてHIV/AIDSを入れるかどうか、編者は真剣に検討して、入れないことにしたそうだ。

大航海時代の初期においては、コロンブスやマゼランなど南欧出身の船乗りが熱帯を経験したヨーロッパ人の中心だったこともあって、ヨーロッパと熱帯の気候的な差はあまり取りざたされなかった。むしろ、彼らが期待していた豊潤な自然と金銀を産出する地方というイメージが先行した。19世紀の初頭においても、フンボルトの南米の記述はロマンティックであり、ポジティヴなものであり、これはダーウィンの世代のナチュラリストに大きな影響を与えた。