黄熱病と「根絶」概念

黄熱病の根絶計画に携わったもの学者自身が、疫学上の「根絶」概念の盛衰を回想した記録を読む。文献はSoper, Fred L., “Rehabilitation of the Eradication Concept in Prevention of Communicable Diseases”, Public Health Reports, 80(1965), 855-869.

感染症の「根絶」が実現できるという概念は、単なるオプティミズムと馬力と予算だけから生じたものではなく、実は複雑な前提がいくつも必要であった。病気が「自然発生」しないこと、病気が「転換」しないことなどは、当たり前のことに思えるけれども、実はこれらの基本的な病気の性格付けをめぐって大論争があった。 パスツールの「理論上は、すべての感染症は根絶できる」という宣言は、自説が描き出す未来は途方もなく明るいことを誇示するためのレトリックでもあった。19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、根絶計画は口にされるが、実際にこれが目標になったのは、1920年代のロックフェラー財団によるブラジルなど南米の黄熱病根絶計画である。患者も媒介する蚊も順調に減少していたが、目に見える患者を相手にしているだけではだめなこと、そして都市部だけではなく、ジャングルにも媒介する蚊が生息していることなどが判明し、1930年代の初頭においては、ロックフェラー財団自体も、一時は「根絶」計画をあきらめかけていたという。そこから根絶概念がよみがえり、WHOの中でマラリア、天然痘、ポリオなどの対策として「根絶」が念頭に置かれるようになる事情が回想されている。これは研究ではなく一次資料というべき素材である。

しばらく前に麻疹の歴史疫学の研究をしていたときに、医学系の国際学会に行くと、いつもちょっと憂鬱だった。アメリカの医者たちが、「申し訳ないけれども、エチケットよりも正義のほうが大事だから、これだけは言わせていただく」という決意のようなものを漂わせながら、私に向かって日本の麻疹対策を口を極めて批判するのである。アメリカで麻疹を根絶できているのに、日本でなぜ根絶できないのか不思議である(これは、私も実際不思議である)、日本から持ち込まれた麻疹のせいでアメリカの子供が死んでいる、などなど。その口調には「「苛立ち」とか言いようがないものがあった。 日本が麻疹根絶を阻んでいるというのは、アメリカから見て「信じられない」というしかないんだろうな。 温暖化対策を阻んでいるのが、中国やインドやアフリカの振興工業国ではなく、アメリカであるという事態が、私たちから見て「信じられない」ものであように。