『二笑亭奇譚』

昭和戦前期に精神病者であると鑑定され、東京の深川に「二笑亭」なる奇怪な家を建てた人物と、その建築の研究書を読む。文献は、式場隆三郎が昭和12年に中央公論に発表した「二笑亭奇譚」をはじめ、重要な関連文献が集められたちくま文庫版。いまは入手しにくいらしく、アマゾンの古本でも結構な値がついている。

渡辺金蔵は、明治10年に九州に生まれ、東京の資産家に婿入りして、商売や土地収入から富裕な暮らしをしていた趣味人だった。もともと頑固で変人であったが、関東大震災の後から精神にはっきりと変調をきたし、大正14年には世界一周の旅に出る。西洋の道中でもシャツと股引で通したという。この道中に彼に同行した長男は精神病を発病している。一年ほどの旅行のあと帰国し、しばらくして自分の地所に奇妙な建築を建て始める。建築を請け負った大工すら意味が分からない奇怪な建築で、しかも木曽の銘木を運ばせたり、無用に太い鉄骨を露出させて使ったりと、材料の金には糸目をつけなかった。妻などの家族は耐えかねて昭和11年に精神障害を理由にした禁治産処分を申請して認められ、金蔵は自分の財産を自由にする権利を失って東京の私立精神病院である加命堂病院に収容され、昭和16年に同病院で没する。もともと激烈な精神病の症状は不在であり、病院内でも絵を描いたり日記を書いたりと、収容に憤るわけでもなく悠々自適のありさまだったという。

いくつも面白い論点があるけれども、二笑亭というのは基本的に「茶室」であるという解釈は卓抜な仕方で説明されていて、少なくとも私には説得力があった。あと、月並みだけど、やはりこの時代に、人々が精神病患者の「創作」に惹きつけられた背景も、少し垣間見ることができた。