物価・気候と死亡率の変動

必要があって、18世紀ロンドンの死亡率と物価・気候の関係を分析した論文を読む。文献は、Landers, John, “Mortality, Weather and Prices in London 1675-1825: Study of Short-term Fluctuations”, Journal of Historical Geography, 12(1986), 347-364.

ヨーロッパの他の都市と同じように、18世紀のロンドンにおいても死亡が出生を大きく超過していた。死亡は出生よりも大体30%前後多く、特に悪化した1740年代においては、2万6千人の死亡に対して出生は1万4千人しかいなかった。この数字が改善し、出生が死亡を上回るのは1790年代に入ってからである。それまではロンドンの人口増加は社会増、具体的には近隣地域からの移民がまかなっていた。このような死亡超過は、いったい何が作り出していたのかという、具体的な生活のありさまを有名なロンドン死亡表の分析を通じて探ったのがこの論文である。方法は緻密で、用いられている統計手法は(少なくとも私から見ると)非常に高度なものも含まれている。また、高度な統計をやみくもに使うのではなく、具体的なデータの特徴に照らしてその手法を使うことが適切かどうかを論じている。

手法としては、ある年の超過死亡の割合を求めて(5年間の移動平均との割合を測るというフリンの方法が用いられている)、例年に較べて異常に人が死んだ年をさぐりあて、物価、夏の気温、冬の気温との関係を調べるというシンプルで堅固な方法である。18世紀のロンドンではペストはもう来ないから、死亡が例年の倍になるとか、そういう極端な事態はない。115%を超えた年が合計で7年あるだけである。この7年は、それぞれ異なった死因の増加によってもたらされていて、単一の疾病や条件がもたらしたものではない。さらに、物価が高騰した年には死亡が増え、夏の気温が高かった年、冬の気温が低かった年には死亡率が上がっている。夏の気温は水や食物の汚染に由来する消化器系の病気であると推測され、18世紀がすすむと夏の高温が死亡率向上にもたらす影響が小さくなるのは、この方面での改善があったということかもしれない。しかし、冬の低温に反応して(おそらく)呼吸器系の病気による死亡が増加するパターンは世紀が進んでも弱まらない。物価が高騰した年には天然痘の死亡が増えるという、やや意外な現象はここでも観察されていて、ランダースはこれを食料価格の高騰による栄養状態の悪化ではなくて、食料価格があがるような社会的な条件において地方から都市への移民が増え、免疫を持たない罹患可能者が都市の内部に増加したことによって、もともと常在している天然痘の流行が作り出されたと推測しているが、私もほぼ間違いなくこれが正解だと思う。