「出生転換」概念の誕生と変容

必要があって、人口転換・出生転換 (demographic transition, fertility transition) の人口学上の概念がはじめて形成されたときの思想史を読む。文献は、Szreter, Simon, “The Idea of Demographic Transition and the Study of Fertility Change: a Critical Intellecutal History”, Population and Development Review, 19(1993), 659-701. 透徹した明晰さと抉るような深さを持った論文。こういう論文をお手本にしなければ。学生たちにも読ませないと。

人口転換というのは、ものすごくおおまかにいって、近代化にともなって、多産多子型の人口レジームから少産少死型のそれに移行するプロセスをさす。このときに、まず死亡率が低下し、少しの時間差があってから出生率が低下する。この「タイムラグ」の期間、すなわち出生が死亡を大きく超過している期間に、急激な人口増加が起きる。この概念を導入することで、世界の諸地域・文化を、人口転換を終えた社会(当時は西欧とアメリカ)、転換中の社会(東欧など)、そしてまだそれが始まっていない地域(残りのほとんどの地域)の三つに分けるという、非常にシンプルな図式を作ることができるようになった。国際社会の経済発展や人口問題を考えるうえで、段階論的に一方向に進化するというこの図式は非常に便利なものであった。

この人口転換のは、まず1929年にアメリカのウォレン・トムソンという当時影響力があった人口学者が発表したが、誰にも注目されなかった。しかし、第二次大戦中にパリから亡命してきた国際連盟の社会科学関連の事務局が仮におかれ、世界の社会科学の一中心となっていたプリンストン大学の人口学者であるノートシュタインが、1944年に概略としてはほぼ同じ概念を発表すると、またたく間にこの概念は、人口問題や経済発展についての政策の主流となった。トムソンから15年ほどで、「人口転換」とくに出生転換といわれる出生の減少をめぐる政治的な環境は、大きく変質したのである。

たぶん、このあたりも面白い話題だと思うけど、この論文が取り上げているのはそこではない。ノートシュタイン(以下Nと略)が、1944年から1950年までのごく短い期間に、出生転換の概念の中身を根本的に変えたことがポイントである。 どう変わったのか? そしてなぜ? という問題を分析する部分が、この論文の白眉である。(実は、他にも白眉はあるのだけれども)。 

まず1944年の段階でのNは、出生率が下がるのは、近代化が成熟しないと起きない現象であると考えていた。近代化すると出生率が下がるのは、色々な経路と理由があるが、「子供というのは生まれるものだ」という宿命論的・慣習的な態度から、「出産は個々のカップルの意図的な行為として行うものだ」という意思に基づく態度への変容である。

Nの出産転換に影響を与えた観察の中には、植民地であったインドと、独立を保ち民主化が進んでいた日本との比較である。インドではイギリスの植民地支配の結果、経済発展は遅れていた。植民地化の一つの恩恵として死亡率は下がっていたが、出生率は下がる気配を見せていなかった。一方、近代化・民主化が始まっていた日本においては、1920年代から出生率も下がりはじめている。Nは、この対比から、出生転換は、近代化の帰結であるという概念を引き出した。ここには、当時の帝国主義にもとで近代化が遅れていた植民地が、独立して近代化を進めることによって出生転換が起きて、多産多子型の社会、あるいは戦争や飢饉といった大量死によって人口が調節される悲惨な社会から抜け出せるというヴィジョンがあった。

しかし、この1944年の論考から数年のうちに、Nの出生転換の概念は微妙だけれども決定的な変化をとげる。1950年には、出生転換は近代化に従属して起きるだけではなく、他の変数とは比較的独立して変化するものであるという形になる。言葉を換えると、近代化が始まっていない地域でも、出生率を下げることはできるのである。そして、比較的短い期間で出生率を下げるためには、国家が家族計画を進めるのが最も効率がよい。子沢山の重圧から人々を解放した社会は、政治的に安定し、その結果、国際的な紛争は少なくなるだろう。近代化の帰結として捉えられていた出生転換は、社会を安定させ、国際平和をもたらすための、政策的な道具になったのである。

この短期間における変化の原因を、この論文は、1949年に中国において共産党が勝利したことが、アメリカの国際政治政策に衝撃を与え、他の旧植民地の共産主義化を防ぐために、迅速に実行可能な政策が求められていたからだとしている。このあたりの当否は私にはもちろん判断できないけれども、人口学の基本概念が、国際開発経済の目下の緊急の要請にあわせて変化していたというあたりの指摘は、科学史の研究者には説得力があった。

他にも洞察が満載。ぜひ一読を。