『ガタカ』


必要があって映画『ガタカ』(Gattaca) を観る。アンドリュー・ニコル監督、イーサン・ホークユマ・サーマンジュード・ロウらが出演。1997年に公開されて、映画ファンだけでなく、生命倫理学者たちの中で古典といってもよい地位を築いている傑作。このジャンルの作品をたくさん知っているわけではないが、高校生から学部1・2年生くらいの生命倫理の授業で、補助教材として見せるのにこれほどいい作品はちょっと思いつかない。というか、この映画はほぼ間違いなく、生命倫理学の議論を意識して作られている。Wikipedia で調べたら、生命倫理学では社会格差の拡大を理由に遺伝子操作に反対する立場を「ガタカ理論」という言い方すらするそうだ。私は生命倫理学者ではないけれども、この映画をまだ観ていないといったら、知人にちょっと驚かれた。たぶん、同業者、ないし類似の業者でこの映画をこれまで知らなかったのは私だけだと思う(笑)。なお、以下の記事にはネタバレがあります。

近未来もののSF。遺伝子工学が著しく進歩し、またDNAから瞬時に個人を特定する技術が発達した社会。普通の方法で生まれた人間たちは、先天性の疾患などのしばしば望ましくない形質を持ち、これを恐れる両親は、人工授精でこのような可能性を排除して子供を作る社会になっていた。後者は「適格者」と呼ばれ、エリートへの道が開けていたのに対し、前者は「不適格者」と呼ばれ、エリートたちとは金網で仕切られた区域でのさげすまれた生活が待っていた。その社会で「不適格者」として生まれてしまった主人公のビンセントは、非合法な手段で「適格者」になりすますことを決意し、ジェロームという、「適格者」の中でも傑出した資質・能力を持っているが、事故(あるいは自殺未遂)で肢体不自由者になったものと契約を結ぶ。ビンセントは、血液や尿のサンプルをジェロームから貰って、宇宙開発会社の<ガタカ>に入るが、このときも面接試験などはなく、その場で行われるDNAのチェックだけであった。会社といい警察の捜査といい、毎日のようにDNAチェックは行われるが、そのたびにジェロームから貰ったサンプルで切り抜ける生活であった。そして、ジェロームになりすましたビンセントは、ついに栄誉ある宇宙飛行士に選ばれる。肢体不自由なジェロームに傲然たる態度を取るビンセント、選ばれたのは自分のDNAであるのに、自分自身は車椅子の生活を送っていることに複雑な想いを感じるジェローム。ビンセントは得意の絶頂であったが、それと同時に殺人事件がおきて、ビンセントの「なりすまし」は追い詰められ、最終的には複数の人間に見抜かれることになる。ガタカでのDNA診断を受け持っている医者などは、最初から気がついていたという。最後にビンセント - ジェロームではなくてビンセント - の記録は、その医者によって「適格」に書き換えられ、宇宙船への搭乗は許され、彼は宇宙に旅立つ。一方、ジェロームはビンセントに礼を言って別れを告げたのち、自殺する。

映像はなめらかでセットはスタイリッシュ。台詞や演出は抑え目で、知的かどうかは別にして、少なくとも知性を感じさせる。ユマ・サーマンはたぶんオーラの絶頂期で、すごく説得力がある。そこに自己同一性だとか生命倫理の問題が分かりやすいと同時に「あや」がある仕方でちりばめられている。

予習をしていて、映画が公開されたのとほぼ同時に、プリンストンの遺伝子学者がNature Genetics に書いた映画評が紹介されていたので読んでみたけど、これはかなり驚いた。その映画評には、「『ガタカ』のメッセージは単純なもので、しかも大声ではっきりと語られていて、それは、遺伝子学者たちは偽の預言者であって、彼らの言うことを聴くな、というものである。」と書いてある。そりゃ、『ガタカ』が遺伝子学者に正義の味方として月桂冠をかぶせる映画じゃないのは確かだ。けれども、<ポイントはそこじゃない>。この読み方は、『マクベス』は「魔女を信じるな」という単純なメッセージの作品で、『ハムレット』は未亡人の性急な結婚をいましめる単純なメッセージの作品だというようなものだ。遺伝子学を歪めて、それに対する危機感をいたずらにあおるような一部のマスコミの報道に辟易している気持ちは分からないわけじゃないし、『マクベス』なんかと較べるのは持ち上げすぎだろうけれども、この映画はそういう映画じゃない。申し訳ないけれども、この遺伝子学の偉い先生のレポートには、単位を与えることはできませんね(笑)

もう一つ、余分なことだけれども、私はアメリカの映画によく出てくるカーチェイスの場面を非常に恐れている。アメリカの映画には、カーチェイスを入れた作品には税制上の優遇措置があるんじゃないかと疑いたくなるほど(笑)カーチェイスが多い。これは、ストーリーや雰囲気をぶちこわすだけでなく、沢山の車がばしゃばしゃと壊れる破壊的なシーンは、暴力シーンとして規制の対象になるべきじゃないかとすら思うこともある(笑)。『アイランド』という似たような臓器移植についての映画(スカーレット・ヨハンソンです!)を飛行機の中で見たときにも、せっかく面白い映画だったのに、後半はカーチェイスがぶちこわしにしていて、とても悲しかった。『ガタカ』でも、実は、これからカーチェイスが始まってしまうのだろうかと、すごく不安になったシーンがあって、そこでカーチェイスにならなかったので、すごく感謝した(笑)・・・って、そういうジョークだったんだろうか。

Nature Genetics の映画評は以下のとおり。 
http://www.nature.com/ng/wilma/v17n3.877620827.html