日本人はなぜ滅亡しなかったか

今日は与太話を書く。あ、私の話は与太話だけれども、読んだ文献は、その筋の権威が書いた、コアの部分は(ほぼ間違いなく)すごくしっかりした論文です。文献は、Black, Francis L., “An Explanation of High Death Rates among New World Peoples When in Contact with Old World Diseases”, Perspectives in Biology and Medicine, 37(1994), 292-307. 

コロンブスがアメリカ大陸を発見して、ヨーロッパ人が「新大陸」を訪れるようになると、それまで旧大陸天然痘や麻疹などの感染症を経験したことがなく、それらに対する免疫を持っていなかった原住民たちは、ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症で壊滅的な打撃を受けた。このストーリーは、今は世界史の教科書にも書いてあるから高校生でも知っている。しかし、これを厳密に考えようとすると謎が多い。人口というのはわりと弾力性があって、感染症の被害からは比較的すぐに回復するものだし、たとえばヨーロッパは人口の三分の一が斃れた黒死病のあとも、壊滅には向かわなかった。なぜ新大陸の原住民の人口は回復せず、その後減少し続けて絶滅寸前までいってしまったのだろうか?

この論文は、この問いにウィルス学者・免疫学者として答えようとしたものである。歴史学者たちに受け入れられている説明は、新しい感染症にさらされたときの生物学的な打撃と、ヨーロッパ人の新大陸への進出と征服という政治的・社会的な打撃とが重なったからであるというものである。私もそう教えているし、この説明はほぼ間違いなく事態のある一面を正確に捉えていると思う。

しかし、人口回復を左右するのはそれだけだろうか?新たな感染症がヴァージン・ソイルに侵入したあと、外来者に征服されなかった地域の人口は、どこでも順調に回復したのだろうか?これは調べてみないと分からないけれども、オーストラリアのアボリジニの人口は、イギリスからの植民が本格化するまえに持ち込んだ感染症だけで、すでに激減していたのではなかっただろうか?(あ、これはうろ覚えですので・・・) 

新たな感染症の侵入による大打撃から人口が回復した社会といえば、日本もそうである。天平天然痘の大流行のときには、ある学者は人口の1/3がなぎ倒されたと推測している。どうしてその大被害から、ゆるやかではあるが日本の人口は回復できたのだろうか?もちろん、外国による征服を経験しなかったからだという説明は正しいだろう。しかし、そのような政治的・社会的な条件だけなのだろうか?生物学的な条件も違ったとは考えられないだろうか?日本と、たとえば新大陸やオーストラリアやハワイのような「島」は、同じ島でも、その住民が持つ生物学的な特徴が違い、その違いが新たな感染症の被害の規模や適応性の違いに至ったとは考えられないだろうか?

ブラックの論文は明示的に日本には触れていないが、彼の論立ては、たぶん日本人-より厳密に言うと、天平天然痘危機のときに日本に住んでいた人々-は、新大陸の原住民が持っていなかったある種の生物学的なメリットを持っていたことを示唆している。私が理解したブラックによると(笑)、遺伝子的に均質性が高い集団においては、麻疹などのウィルス性疾患の死亡率が高くなるそうだ。(このあたりの Class I MHCとかHLAとかRFLPとかいったテクニカルな議論は、全くついていけませんでした・・・涙) そして、新大陸の住民は、ベーリング海峡を歩いて渡るというボトルネックを通ったごく少数の人間の子孫だから、均質性が高くなり、これが新大陸の住民が新しい感染症を経験したときの被害を大きくしている。他の孤立した島の住民についても同じことが言える。一方、天平期の日本人は、同じ島といっても、南方から、北方から、そして大陸からやってきたさまざまな民族が混血して存在している、遺伝子上の均質性が低いグループだったと考えられるだろう(えっと・・・違いますか? 笑)このことが、天平の日本人が新しい感染症を経験したときの死亡率を下げた、つまり生物学的なメリットがあったとは考えられないだろうか?

はい、これはもちろん、免疫学とか遺伝学のイロハのイも知らない人間の与太話ですよ。でも、こういう可能性を考えておくと、何かのときに役に立つかもしれないんです・・・って、私は誰に向かって何を言い訳しているんだろう(笑)