鎌状赤血球の分布



鎌状赤血球の謎が解かれていく過程で書かれた論文を読む。文献はLivingstone, Frank B., “Anthropologial Implications of Sickle Sell Gene Distribution in West Africa”, American Anthropologist, 60(1958), 533-562.

鎌状赤血球をもつ人間は、貧血症状などを起こすことがあるが、マラリアに対する抵抗力が強いのでマラリアが自然選択の圧力になっている地域で多いという説明は、私を含めて、進化学者や遺伝子学者でない一般人にも良く知られている。しかし、それをどう証明したのかということは、この論文を読むまで考えてみたことがなかった。

たとえばWikipedia の絵は、マラリアが広がっている地域と、鎌状赤血球傾向が見られる地域の地図を並べている。少なくとも大まかな形は似ているけれども、これは「いつの」分布なのだろうか?マラリア感染の濃厚さも時期ごとに大きく変わるし、民族・部族も移住する。現在のマラリア地図と鎌状赤血球傾向の分布がぴたっと一致していたら、それはむしろ突然変異と自然選択による説明が有効でないことすら示すかもしれない。(この遺伝子はどこで、いつごろ突然変異を起こして、どのようにして広がったのか?)この論文は、それぞれの民族が持つ<言語>を鍵にして、移住のおおまかな時期や、もともとはどの民族と親縁なのかを推論して、それから突然変異とマラリアの淘汰圧が、この遺伝子上の変異をもたらしたと結論している。具体的な推論の部分は、アフリカの100以上の民族の言語の系列からその移住と歴s的な分布を推定し、そして現在計測したそれぞれの民族ごとの鎌状赤血球傾向の割合を測定するという話。 アフリカの民族の言語の話は、とうてい理解できなかったけれども、でも、そうか、こういう複雑なことをやらないと正しさを証明できなかったのかと、自分が当たり前に正しいと信じていることを学者たちが証明するときの複雑さに思いをはせた。

人間が狩猟採集をやめて農耕定住を始め、支えることができる個体の数が爆発的に増えたときに、人間は「常にそこにいて数が多い」大型哺乳類となった。これは格好の寄生の対象であり、人間をホストにするように適合した(って、原虫が適合したのか、蚊が適合したのか、そのあたりのメカニズムは私には想像さえできないのだけれども)生き物が新たに進化した。すなわち、マラリアの淘汰圧が働くようになったのは農耕が始まってからであり、ホモサピエンスの歴史が20万年くらい、農耕が始まってからだいたい1万年ちょっとと考えると、人類の歴史の中でごく最近の現象である。言葉を換えると、かつては食料の量が人間集団のサイズを決めており、この時期の条件が我々の遺伝子を形作っている。しかし、農耕以降は、病気が人間集団のサイズと特徴を決める重要な役割を担うようになったという。

画像は、Wikiから、上がマラリアの分布、下が鎌形赤血球傾向の割合。 よくみると、たしかにかなり違う。