解剖学のトルソ



ヴェサリウスの解剖図譜の古典的な分析を読み直す。文献は、Harcourt, Glenn, “Andreas Vesalius and the Anatomy of Antique Sculpture”, Representations, 17(1987), 28-61.

1543年に、歴史上最も重要な解剖図譜が出版された。パドヴァ大学の解剖学講師のアンドレアス・ヴェサリウスによる『人体構造論』である。フォリオ版で600ページ以上ある巨大な書物で、約200の木版のすばらしく精巧で美しい図譜を持つ。この図譜を作成したのは誰か、どんな過程で作られたのかということは学者の間では議論があるらしいが、ティティアーノのスタジオで働いていた画家だろうといわれている。ヴェサリウスの記述自体が優れていたことも確かだが、このすぐれた図版がなければ『人体構造論』は、現在それが享受しているような、西洋の近代医学を象徴する作品になることはなかったに違いない。 

この論文の議論のコアは、ヴェサリウスの図譜が持つ「美しさ」はどのような力学により成立しているのかということをめぐる考察である。ヴェサリウスの図譜は解剖学的に正確であるが、現実の死体を写したように写実的という意味ではない。むしろ、『ファブリカ』ほど激しく構図や主題を操作して、その図譜を「現実離れさせた」作品も珍しい。全身の骨格や全身の筋肉を表した人体が、美しい風景の中で絵画的なポーズをとっている図版が有名である。この論文が使っている、それよりもクリスプな説得力がある図版は、内臓を表現したものである。これは古代彫刻のトルソと、解剖スケッチのモンタージュになっている。全体にヴェサリウスの『ファブリカ』は、現実に死体を解剖する現場からできるだけ距離を取った主題や構図にして描かれた図譜からなっている。これは、個別の死体ではなくて、規範的な人体の解剖を表現する必要があったことと、それより重要なことだが、現実に解剖するというタブーを犯す行為、死体を入手するさいに、墓をあばいて死体を盗み出すという非合法なルートにも頼っていたことなどの、道義的にきわめて曖昧で、「やばさ」を持つ現実の死体を切り離し、古典古代の芸術がもつ美学の空間への解剖学を定位したかったためである。 

画像は National Library of Medicine の Turning the Pages Online より。