ガレニズム

ガレノス医学の歴史の概説の古典的な記述を読み直す。文献はTemkin, Oswei, Galenism: Rise and Decline of Medical Philosophy (Ithaca: Cornell University Press, 1973).

ガレニズムについて何かを書いたり話したりするときには、他にも参照すべき本は沢山あるけれども、私は必ずこの本を参照する。たぶん、いくつかの箇所は古くなっていて、テムキンの主張をそのまま引くわけにはいかないけれども、テムキンのほかの書物と同じように、いつでも新しい発見がある。たとえば、ガレノスの解剖学には間違いが300もあると指摘したヴェサリウスの『人体構造論』を、「ガレノスの解剖学書の改訂版以外の何者でもない」という現在の学者たちに受け入れられている的確なまとめが、1870年のあるフランスの医学史家によってされていたことなんて、知らなかった。そうか、テムキンはこの視点を知っていた上で別の視点を取ったのか。憶えておこう。

それ以上に面白かったのが、<なぜガレノス主義は、完全に死んでしまい、思考のツールとして生きていないのか>という短い考察だった。古代ギリシアの「~主義」といえば、プラトニズム、アリストテレス主義などがあって、これらは哲学者の間ではいまでも使われる概念である。たとえば「認知に関してプラトンに近いスタンスを取る」とか、生命倫理で「ネオ・アリストテレス主義のアプローチ」などという表現を聞く。こういった表現で何を言わんとしているか説明されると、なるほど、プラトンアリストテレスの発想と共有しているものが確かにあることが多い。一方、「利根川進の免疫論はガレニズムに近い」とか「厚生労働省は生活習慣病予防に関してガレニズムの出発点に立ちます」(笑)とか、おそらくいわない。「新ガレノス主義」という言葉も、ほとんど使われていない。”neo-galenism” でグーグル検索したら、代替医療系を中心に16ヒットしかしませんでした。