群馬の精神医療

未読山の中から、群馬の精神医療の歴史についての記事を読む。文献は、香内信一「日本精神医学風土記 群馬県」『臨床精神医学』18(1989), 427-432.

この「精神医学風土記」のシリーズは何回か記事にして、私はわりと気に入っている。書いた先生には申し訳ないけれども、ちょっと脱力した感じが、なんかいい雰囲気がある。その中で、はっとする箇所がどの論文にも一つか二つはある。

この論文では、それが三つもあった。一つは前橋積善会という慈善団体があって、それが大正期から前橋市に委託された精神病者を監置する施設を持っていたこと。第二に、大正14年から精神病院を設置する機運が高まっていたが、昭和3年に内務省が医療保健施設設置の補助があり、60床の厨橋病院が作られ、院長には松沢から前田忠重が招かれ、昭和5年にこれが代用指定を受けたこと。第三に、昭和9年に群馬県で陸軍の大演習があったときに、それに先立って精神病患者の収容保護を行ったこと。

第三の点だけれども、少し前の昭和天皇の即位の儀式のときにも似たようなことがあって、全国で精神病患者の収容があった。これを「治安維持の観点からの精神病患者の狩り出し」と見ることもできるし、藤野豊はそのように解釈している。その一方で、道路公団ではないけれども、儀式や演習準備などでついてきた予算を横流し的に流用して、精神病者ケアの施設に回したという可能性も考えられて、どちらなのだろうということはずっと疑問に思っている。