アルトーのペヨーテ経験

未読山の中から、アントナン・アルトーがメキシコでペヨーテを吸引した経験をつづった文章を読む。文献は、アントナン・アルトーアルトー後期集成I』宇野邦一・岡本健訳(東京:河出書房新社、2007)の7-125ページに「タラウラマ」としておさめられているいくつかの文章。なお、これらの文章のうちの多くは、アルトーがメキシコ旅行後に収容された精神病院で書かれたものである。

1936年にメキシコを訪問したアルトーは、同地のインディアンたちがペヨーテを吸引して幻覚を得るのを観察し、導かれて自分でも吸引した。ハシシを吸引したベンヤミンの手記は、精神医学・心理学的な実験のプロトコールに沿って、几帳面にきちんと経緯が記してあるが、これは現地の儀式の中で吸引した経験を精神病院の入院患者が書いているものなので、奔放と言っていいような構成で、前後関係がわかりにくくなっているけれども、ペヨーテの影響を記した部分は迫力がある。

「捨ててきたばかりの、あなたをそれ自身の限界の中に落ち着かせていた身体を、もはやわれわれは感じない。反対に、自分が自分自身よりも果てしないものに属していることを、はるかに幸福と感じる。なぜならわれわれは、自分自身であるものとは、この果てしないもの、無限の頭脳からやってきたのであり、いまやそのことを目撃しているということを理解するのであるから。まるであらゆる側面から、たえまないざわめきを放つ気体状の波動の中にいるように、われわれは感ずる。まるであなたの脾臓、肝臓、心臓、肺であるものから出てきたかのように事物が飽くことなく抽出され、気体と液体の間でためらう雰囲気の中で炸裂する。しかしそれは事物を自分のほうに呼び込み、事物が終結するように命じるように感じられる。」

ペヨーテの幻覚を現地の人間は「シグリ」という言葉で表しているが、そのシグリこそ人間に真理をもたらすことを、現地の司祭はこのように表現している。

「私の中には何か恐るべきものが登場し、それは私から来るのではなく、私が自分の中に抱えている闇から来るのである。この闇において、人間の魂はどこで始まりどこで終わるのか、人間が自分を見ているとおりのものとして始まることを可能にしたのは、何なのか知らないのである。シグリがまさにこれを私に教えるのだ。彼とともにあれば私はもはや嘘など知らず、あらゆる人間において真に欲望するものと欲望しないもの、悪しき意思の存在を猿真似するものと混同することもないのだ。そしてやがて、それ [=シグリ?] が何歩か退くとき、存在するものはそれだけである。つまり精液と糞の間で笑っているもののあの猥雑な仮面だけである。」

アルトーは、この司祭の言葉は粉飾なしの絶対の本物である、と保証している。にわかには信じられないけどなあ・・・