冷水浴


先日の本から面白いポイントがあったので。文献は、Smith, Virginia, Clean: a History of Personal Hygiene and Purity (Oxford: Oxford University Press, 2007)

初期近代から二百年くらい「身体を冷たくする」ことが流行した。ここでいう「冷たさ」というのは、アリストテレスやガレノスが言うところの四大性質としての「冷たさ」で、現在の「冷たさ」と勿論重なるけれども、それよりも広い概念である。短いスペースで説明することは難しいけれども、メロンと生ハムを較べたときに、前者は「冷たい」食べ物で後者は「熱い」食べ物である、若者と老人を較べたときに、後者は「冷たく」前者は「熱い」というのは、直感的にわかりませんか?(笑)

で、話を戻すと、それまでは熱というのは生物の基本的な性格で、生命力を維持するには原則として熱い状態に保つのがいいと考えられていた。しかし初期近代から「冷たく」するのが良いという思想が現れた。そこでは、食べ物は野菜など、部屋には空気を入れて換気し、入浴は冷水浴が健康によいと言われた。特に冷水浴について、これは技術的にお湯を供給するシステムがなかったからではなく、積極的に冷水を称揚するものであった。ジョン・ロックの教育論は、冷水の効能を歌い上げているし、シデナムは冷たい空気がよいと言っている。この背景には宗教改革・対抗宗教改革の結果、 sober な生活(すごく訳しにくい概念だけれども、節度があって抑制された、という感じかなあ・・・)を、神の意思にかなったものと考えることがあったという。そこから冷水浴に行くところが、直感としてはわかるんだけど、「なぜか」ということを考えると、意外に難しい。

図版はデューラーの版画、「男たちの入浴場」と「女たちの入浴場」。男と女はやっぱり「外と内」なんだろうか? 男たちの入浴場は日本で言う露天風呂で、そこにはさわやかな冷たい風が吹いているけれども、女たちの入浴場には、息苦しいくらいのインティメイトな暖かさがこもっている。あ、これは、もちろん冗談だけど、二割くらいは本気です。