『カーマ・スートラ』の誕生

未読山の中から、『カーマ・スートラ』が1883年に出版されるまでの経緯を描いた書物を読む。文献は、McConnacie, James, The Book of Love: the Story of the Kamasutra (New York: Metropolitan Books, 2007). 学術書と一般向けの書物の中間くらいのジャンルの本で、私のような当該問題の専門家でないレベルの読者にはちょうどよかった。

『カーマ・スートラ』は、現在の欧米では、アクロバティックな性交の体位を解説した代名詞のようになっているが、もともとは紀元3世紀くらいのグプタ朝のインドで成立した、性の技法を論じた宗教思想書。その後、インドでは『カーマ・スートラ』に基づいた一連の類似の書物が現れるが、19世紀にはインドにおいてすら半ば忘れられ、失われたも同様のテキストになっていた。このテキストの存在を知り、そのサンスクリット語の手稿を入手して英語に訳し、合法的には出版できない内容のため、地下出版するという一大企画を挙行した二人にイギリス人の足跡を丁寧に辿った書物である。その二人とは、『アラビアン・ナイト』の翻訳で有名な探険家でオリエントのエロティック文学の翻訳者のロバート・バートンと、インド植民地の行政官であったフォスター・アーバスノット (Foster Fitzgerald Arbuthnot) であった。この二人を中心に、後期ヴィクトリア朝イギリスの、秘密のわいせつ文学愛好会などの人物を生き生きと紹介し、歴史分析も交えながら書かれている。イギリスの歴史分析のほうは、女性の性欲論争とか、新マルサス主義者とか、特に目新しいことはなかったけれども、安心して読める筆致で書いている。

それ以上に、『カーマ・スートラ』がはじめて西洋に紹介されたときのことは、もちろん私が知らないことばかりで、とても面白かった。バートンがプロデュースした『カーマ・スートラ』は、まず、現地の知識人がサンスクリット語の手稿を集めて底本をつくり、それをグジャラット語に訳し、そのグジャラット語をさらに英語に直したものに、アーバスノットとバートンが必要と判断した変更(両者の気質は大いに違ったから、変更も大いに違っていたと推測される)を入れて出版されたなんて、想像もしていなかった。 

なお、Wendy Doniger らが原典から直接英語に訳した Kamasutra が、2002年にオクスフォード大学出版局から出版されている。