行ったことがない場所

今日は無駄話を少し。『ライラの冒険』の中で、何か納得してしまうたとえがあったので。 

「恋をするなんて、中国のようなものだって思っていた。つまり、そこにあるとわかっていて、きっととても面白くて、そこに行く人もいるけれども、わたしはけっして行かない、というもの。わたしは、一生中国へ行くことはなさそうだったけど、それでかまわなかったわ。訪れる場所はほかにもたくさんあったから。」

いえ、「恋をする」ことについてのたとえとして納得するというのではなくて(笑)、行ったことがない国や街について納得するということです。

当たり前のことだけれども、私が行ったことがない場所はすごく沢山あって、めぼしいところでいうと、フランスにも中国にも行ったことはないし、パリにもニューヨークにも行ったことがない。イギリスの中ですら、湖水地方にもコツウォルドにも行ったことがない。そういう名所に行きたくないかというと、そういうわけではなくて、機内誌で特集されている名所の美しい写真を見ると、ああ、行ってみたいなあと思う。けれども、そういった場所に行くための努力をした記憶がほとんどない。このあたりを自分でどうやって説明すればいいのかわからなかったけれども、引用した部分を読んで、かなり納得した。そうか、そうやって表現すればいいのか。

そこに行くと面白くて、行く人もたくさんいるけれども、私は一生行かないだろう。でも、それでかまわない。ほかにすることはたくさんあるから ―― 私が行ったことがないけれども行ってみたい場所の中で、こうやって片付けることができるものが大部分だと思う。例外として、どうしても行ってみたい場所もあるけれども。