アッカークネヒト『精神医学小史』

必要があって、アーウィン・アッカークネヒト『精神医学小史』を読む。石川清・宇野昌人の翻訳の第二版が1976年に医学書院から出ている。

医者が書いた書物や論文の中の精神医学上の業績が、古代からクロルプロマジンの発見まで鳥瞰的に語られている本。翻訳のせいもあるのかもしれないが、どちらかというと無味乾燥な本で、読んで楽しくはない。私が内容を判断できるイギリスに関する部分は、不正確だったりピントが外れていたりする箇所も目に付く。アッカークネヒト自身は傑出した医学史家の一人だったが、この著作は彼の最良のものではない - いや、ありていに言って、最悪のものかもしれない。

この著作について不思議に思っていることがあるので書いておく。近代に入るとフランスと、広い意味でのドイツの二カ国が話の中心になって、その二カ国の間を自由に行き来しながら話が進行する。この二カ国を選ぶのはいい。しかし、アッカークネヒトが唱えている解釈だけれども、クレペリン説の行き詰まりを、ベルネームやジャネといったフランスの医者たち、そして最終的にはフロイトが打開したというのは、いったいどの「場所」における現象を考えているのだろうか?たとえば、これまでクレペリンが教えられていた大学が知的に行き詰まっていて、それがジャネを教えることで打開されたということだろうか?クレペリン式の臨床が行われていた精神病院で、ジャネの臨床(あるいはフロイト式の臨床でもいいけれども)に変わったということを意味するのだろうか。アッカークネヒトはチューリヒ大学の教授だったが、ドイツとフランスのどちらかを選ぶことができたスイスでは、そのようなことが起きているのだろうか? でも、精神医療の臨床がクレペリン説で「行き詰っている」って、どういうことだろう? それとも、アッカークネヒトが書いていた当時の精神医学の知的な概念の枠組みに照らして、「行き詰っている」「打開した」と言っているのだろうか?

実は、「行き詰まりを打開した」という捉え方は、アッカークネヒトは、別の著作でもしている。これは掛け値なしの傑作である『パリ病院』で、病理解剖学の行き詰まりをブルセが打開したと主張している箇所だったと思う。