『東京の地名がわかる辞典』


必要があって、江戸・東京の地名の薀蓄本に目を通す。文献は、鈴木理生『東京の地名がわかる事典』(東京:日本実業出版社、2002)

タイトルだけで本を買ってしまって、あてが外れることがたまにある。この本も「事典」というので、地名から引くことができるレファレンスのような本を想像していた。ロンドンの地名については、Christopher Hibbert 編集のThe London Encyclopedia を重宝して使っていたので、それと似たようなものかと思っていたら、これは全く違う形式の本で、ちょっとがっかりした。内容は、著者の饒舌な薀蓄が楽しいし、私のような初学者にとっては大いに勉強になったけれども、タイトルは内容を表すものにして欲しい。まあ、冷静に考えれば、私が期待していたようなレファレンスが1500円で手に入るわけがないのだけれども(苦笑)

その勉強になったことの中からひとつ。私事になるが、いま、明治の東京の1500近くの町名が入ったデータベースで仕事をしていて、その中で違う土地なのに同じ町名がたくさんあるのを不思議に思っていた。たとえば「材木町」を含む地名は、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、深川、浅草と七つの「区」(15区時代の「区」)にある。「仲町」も七つ、「田町・多町」も五つある。関東大震災の直後には、町の総数が1300で、延べ591が同じあるいは類似の町名だったそうである。その理由は、江戸時代の火災のあと、延焼防止のために防火用の空き地が絶えず設定される。すると、その場所にあったひとつの町の一部が移転する。この移転は、本来の町を構成していた地主・地借り・店借りといった関係をそのまま維持して違う場所に移り、移動した先で同じあるいは類似の町名を名乗ることになる。京橋と本所の「長崎町」や、神田と深川の「八名川町」は、このように火災後の移転で町名がコピーされたのだという。

画像は、明治19年のコレラの週別の患者数。日本橋区の松島町(今の水天宮の向かい)と、浅草区の松葉町。流行波が2-3週間ほどずれているのがよくわかる。