上海事変の「陣中日誌」

未読山の中から、陸軍軍医の「陣中日誌」を読む。文献は、『15年戦争極秘資料集・補巻5 第一次上海事変における第九師団軍医部「陣中日誌」』野田勝久編集・解説(東京:不二出版、1996) 1932年の2月に金沢を出発して、上海とその周辺で軍事行動を行った師団の軍医部の公式記録である。

軍陣医学というのは、私が無知なだけかもしれないが、日本医学史でも研究がもっとも進んでいない分野ではないかと思われる。私も、この時期のこのタイプの資料を読むのは初めてで、たぶん読みなれている人にとっては当たり前のことだろうけど、色々なことがいちいち新鮮だった。たとえば、金沢にいるときから、戦闘地域の疫学的情報を調べて、どのような疾病がどのくらいあるか情報を集めて、それに備えをしている。上海ではコレラや赤痢や腸チフスが日本の数倍多くことを確かめ、上海市がどこから水道の水を取っているかを確かめ、感染経路のメカニズムを確定し、「浄水錠」なるものを準備し、簡易削井機を持ち込むなどをしている。日露戦争以来の、陸軍得意の水系感染症対策である。

あと、やっぱりというか、性病対策もさかんにしている。上海地域に逗留することになると、日本国内と同じように売春公認制度が敷かれる。具体的には、性病検診を済ませた接客婦を一箇所に集め、それ以外の私娼と関係を持つことを禁じて、性病(「花柳病」と呼ばれた)が兵士に蔓延するのを防ごうとした。売春婦は「接客婦」と呼ばれたが、この接客婦との交接の際に、局部を消毒すること、接客婦が持っている「サック」を使うことなどが兵士にすすめられている。

この公式記録を読むと、衛生秩序が厳格に守られた軍が思い浮かぶが、この書物には、編者の野田が所蔵している日誌も付されていて、それを読むと、食べ物は、手に入るものはほぼ何でも食べている。でも、何でも食べている中でも、要所要所には注意しようとしているのが感じられる。