19世紀のグローバル・ヒストリー

必要があって、「長い19世紀」のグローバル・ヒストリーを読む。文献は、Bayly, C.A., The Birth of the Modern World 1780-1914 (Oxford: Blackwell Publishing, 2004).

「グローバライゼーション」には歴史があることを強調するのが最近の歴史学者たちの間で流行していて、グローバル・ヒストリーという視点で多くの研究がされている。これを可能にしている基盤は、膨大になったそれぞれの国ごとの水準が高い研究成果(そしてそれが英語で出版されているという状況)だが、私が最近研究している日本の医学史では、まだ分かっていないことが多すぎるし、分かっていることでも欧米の研究と視点を共有しているものがごく少ないので、正直に言うと、まだグローバル・ヒストリーの中に組み込んで高い水準を保つのは難しいと思っているけれども、シンポジアムのテーマになっていたり、あと、やはり、流行に色目を使ったりして(笑)、世界の医学史の中で日本の医学史を考えるというような視点も少し使ったりしたことがある。そういう中で、やはり水準が高いグローバル・ヒストリーの本を読んでおかなければならないなと思って、少し時間ができたときに読んでみた。

言い訳が長くなったけれども(笑)、その知識の幅と構想力は「凄い」の一言に尽きる。欧米はもちろんのこと、中東、ペルシア、インド、中国、日本などのユーラシアの地域は完全にカバーされているといっていい。地域のカバーだけでなく、経済、政治、思想、社会といった、歴史学の中で通常は分業されている色々な領域からの分析の視点も大体網羅されていて、それぞれの連関も論じられている。かつての歴史学の主流の学者には評判があまりよろしくない「言説分析」「言語論的転換」からも、健康な距離を取りつつ、その成果もうまく取り入れている。最近の歴史学のたくさんの潮流を取り入れようとしすぎて玉虫色になっていると批判する人もいるかもしれないけれども、それを取り入れて、この水準の著作を「玉虫色に」書くことが簡単だと思ったら、自分でやってみるといい。

具体的な内容としては、グローバルであることのほかに、「産業革命」がインパクトを与えた時期をとても遅くとって、1850年以降としていること、それに先立って、17世紀から「勤勉革命」と呼ばれる、製造業の技術的な革命とは別に、労働と生活と消費のパタンが変わったことのインパクトを大きく観ていること、これまで産業革命との関連で論じられてきた歴史的な現象を、勤勉革命と、公共圏の創出や、既存の政治文化のバランスの変化との関係で論じていることが目だった特長だった。

賞賛を連ねたあとで、一言、心配になったことを書いておく。実は、この書物は、「身体行為」と題された議論で始まっている。一瞬期待したのだけれども、議論されている主なトピックは、各国の人がどんな服を着たか、何を食べたかという内容だった。悪いけれども、それは、「身体の歴史」の中ではマイナーなトピックで、それを論じた節を「身体行為」と名づけるのは、羊頭狗肉という感じがする。