鎌倉時代のマラリア

必要があって、鎌倉時代の医書から、「瘧」に関する記述を拾っていたら、意外に重要なことが書いてあった。文献は、梶原性全『万安方』石原明解題(東京:科学書院、1986)。

梶原性全(1266-1337)は鎌倉時代の医師で、1302年から1304年の間に『頓医抄』を著した。これは、医書が漢文で書かれていた時代としては異色の仮名交じり文で書かれた医学全書である。その後に今度は漢文であらわしたもう一つの医学全書があり、これが『万安方』である。その中には、当時マラリアが大流行していた状況を反映してか、「瘧」についてかなりのページを割いて説明している。

生の漢文で、私は高校の漢文だけの知識しか持たないから、読み下しはすごく怪しいが、たぶんこんなことが書いてある。

人と天地には同じく万物一気が流通するゆえに、山川毒レイの気に感ずることありて病となすものがある。「瘴瘧」がこれである。その寒熱が<時に>起きるので、瘧と同類となし、それゆえにこれを瘴瘧という。いわく、二つの山が水を挟むところに多し。蓋し、陰気多く、陽気少なく、寒熱の疾をなしやすい故なり。

性全は鎌倉の人だったとも言われるが、確かに鎌倉には山が水を挟んだ場所が多そうな気がする。それはともかく、マラリアはイタリア語の mal aria (=悪い空気)から出た言葉で、沼から立ち上る瘴気(「ミアズマ」)にその原因があると考えられたことに由来しているが、瘴気と瘧は、中国や日本の伝統医学でも結び付けられていたんだ。そういう大事なことは、皆さん、ちゃんと書いてくれないと・・・(笑)