美容整形の歴史



必要があって、美容整形の歴史の本を読む。文献は、Sander L. Gilman, Making the Body Beautiful: a Cultural History of Aethetic Surgery (Princeton, NJ.: Princeton University Press, 1999).

著者のサンダー・ギルマンは、身体と医学の歴史研究に画像資料を使ったパイオニアで、彼がいなければ現在の医学史研究の姿は違っていただろう。たくさん本を書いていて、翻訳もたくさんある。そういう偉い学者をつかまえて生意気を言うようだけれども、彼が書いたものには、私は多少の不満があった。ものすごく面白い画像を椀飯振る舞いで使っているから、読んで損はしないのだけれども、使っている概念が粗いというか、スタティックだというのがその理由である。自己が「こうはなりたくない」という恐怖が投影されて「他者」として像を結ぶという、投影理論が彼が使う主な概念で、この概念で、異人種だとか狂気だとか病気だとかの画像をするというのが彼の一連の書物の基本である。これは、結局、自己と他者の二分法で話が進んでいって、二分法がどう生成されたのかという分析にならないという欠陥があると思っていた。

しかし、この書物ではギルマンは新しい概念を前面に出している。それが「パッシング」passing という概念である。ここでは、個人は、あるグループの成員から別のグループの成員に「なりすます」ために、身体に操作を加える。美容整形というのは、美しく「なる」ための操作だから、ダイナミックに形成される自己-他者関係を分析するのに非常に適している素材である。この「なりすまし」というのは、欠損した身体部分を補うことであり、ユダヤ人が鼻を整形することであり、「黒人」が肌を脱色することであり、日本人が二重まぶたに整形することでもある。(日本の二重まぶたの整形については、かなりの量の記述がある。)今頃気がついたのかと笑われそうだけれども、硬直したヒストリオグラフィを生みがちな自己-他者の二分法が、こうすればダイナミックな概念になるのかと目からうろこが落ちた。

半分くらいは鼻の話。『若草物語』で画布挟み(無知を告白すると、私は、洗濯ばさみだとばかり思っていました・・・)で鼻をつまんだエイミーや、トリストラム・シャンディなどの超有名なエピソードを交えながら、想像さえしていなかった画像を次々に繰り出しては分析を織り交ぜながら、聞いたこともない整形外科・美容外科の歴史を語るなめらかな語り口はいつもどおり。胸、性転換、若返りの美容整形などの歴史も驚くようなエピソード満載でサーヴィス十分。まだ翻訳はないようだけれども、高山宏さんたちがもうすでに訳しているのだろうな。 この翻訳は、きっと売れますよ、高山先生(笑)

画像は、何を選べばいいか迷ったけれども、二つに絞りました。一つは、18世紀の末に、インドから形成手術が輸入されたときのイラスト。(19世紀以降のヨーロッパの整形・美容手術には、インドからの技術移転が重要な役割を果たしたなんて知っていました?)もう一つは、日本の美容整形のごく初期のもの。(日本軍のパイロットは、視界を広げるように二重にする手術をしていたなんて、知っていました?)