カリフォルニアのロボトミー

必要があって、カリフォルニアの州立精神病院における治療法、特に電気ショックとロボトミーについての研究書を読み直す。文献は、Braslow, Joel, Mental Ills and Bodily Cures: Psychiatric Treatment in the First Half of the Twentieth Century (Berkeley: University of California Press, 1997). 

電気ショックや薬物療法の歴史については、ショーターやヒーリーがヨーロッパと北米を中心に世界を股に掛けたダイナミックな記述をしている。ショーターらの精神科の治療法のグローバル化の歴史は、最近のアカデミズムのグローバル化の波にも乗っているし、貴重な試みではあるが、精神医療史研究の方法論の流れにはむしろ逆行したものである。ショーターたちのマテリアルのコアは、医者が書いた書物や学術論文を中心にした伝統的な資料である。医者と患者の双方の存在を検証することができるカルテなどの資料を使うのが昨今の基準で、ブラズロウのこの書物は、精神病院のカルテに基づいた研究で、安心して読むことができる。

ロボトミーについて確かめたいことがあったので、それを簡単に記す。

カリフォルニアの州立精神病院では1940年代の後半からロボトミーが行われていたが、この実施は女性患者に大きく偏っていた。精神病院への入院数そのものでは、女性は4割程度で、男性よりもむしろ少ないくらいなのに、ロボトミーを施術された患者240 人についてみると、女性が85%をしめる。さらに、根本的で「深い」ロボトミー(このあたりは私は良く分からないのだけれども)が行われた患者でみると、9割以上を女性が占める。ロボトミーを示唆する診断が女性に偏っていたこともないし、禁忌とする症状を男性が頻繁に示していたということもない。それにもかかわらず、女性がロボトミーを受ける頻度が圧倒的に高かったことを、どう説明すればいいのだろうか? 

ブラズロウがカルテに記された患者や患者の家族との会話の分析から引き出す解釈は、術後の人格変化―よく言えば温和に、悪く言えば自我が感じられない人格になること―が、「あるべき女性の人格」により適合していたからである。これは、しばしば言われるような、患者が過密である劣悪な精神病院の環境における管理手段としてのロボトミーではなく、「回復」して退院した後を見据えての判断であった。医者と夫や父などの家族は、表面的には善意に基づく共謀関係を結んで、不可逆の人格改変の手術を女性に施したのである。ブラズロウの分析は説得力がある証拠に基づいていて、少なくとも私には、この説明は的確に事態を捉えているように見える。ロボトミーは精神病院のポピュレーションの管理技術ではなく、「治療」を見据えたものであったということも説得力がある。

男性に従順でおとなしい女性を医学的に作り出すことは、このあいだニコル・キッドマンの主演で(再)映画化された『ステップフォードの妻たち』でも描かれていた。あの映画はもちろんロボトミーを描いたものではないけれども、医学による人間・人格改造で「理想の女性を作る」ことに対する人々の不安は本物だったんだ。