ルバーブ(ダイオウ)の歴史

必要があって、薬用ルバーブの歴史を論じた書物を読む。文献は、Foust, Clifford M., Rhubarb: the Wondrous Drug (Princeton, NJ.: Princeton University Press, 1992). あまり知られていない書物かもしれないけれども、薬用植物のグローバライゼーションの歴史に先鞭をつけた先駆的な著作で、素晴らしい着想を広範なリサーチで支えている、ちょっとした名著だと思う。 

現在のルバーブといえば、イギリスのスーパーなどで売っている赤いフキのような野菜を思い浮かべるけれども、歴史的には、古典古代のディオスコリデス以来、常に注目されてきた謎の薬材であった。乾燥させたルバーブの根は、基本的にはマイルドな下剤であり、お通じのあとで、自然に便秘を起こすという便利な作用があって、激しい下痢が続いて苦痛を与えるというような、他の下剤が持つ副作用がなかった。一方で、この優れた薬用植物がどこに生えているのかということは、長いことヨーロッパ人にとっては謎であった。マルコ=ポーロもコロンブスも、その旅行記の中でルバーブに注目していた。後期中世から初期近代にかけて、もっとも優れた薬効を持つルバーブの根は中国の内陸部であることが判明した。これは中国ではダイオウ「大黄」と呼ばれ、盛んに用いられていた薬であった。ロシアは、シベリアのトボルスクからモスクワを経て、西欧にルバーブを売りさばく通商を国営とし、私的にルバーブを輸入したものは死刑とした。イギリスは東インド会社を通じて、中国からインド経由でルバーブを西欧に輸入するルートを開拓した。それだけでなく、18世紀には、技術協会 (Society of Arts) が、薬効が高いルバーブを自国で栽培することに熱心になり、輸入薬材植物の国産化を推し進めようとしたが、国内のルバーブの薬効は原産地のものには及ばなかった。 

この書物が傑作なことを認めたうえで、あえて一言、批判めいたことを言うとしたら、「中国医学サイドの事情を一切調べていない」ということに尽きる。この事例の一番面白いところは、もとはといえば中国医学の体系の中で生産されていた薬が、18世紀のヨーロッパで薬として大流行したことである。言葉を変えれば、西洋医学とか中国医学とかの医学のシステムを超えて、薬のグローバル・トレードが成立したことである。 同じ時期の日本では、チョウセンニンジンの国産化が進められていたことは有名だけれども、もしかしたら、ダイオウも地球を一回りしてヨーロッパから学ぶ形で流行していたのかしら? いや、だとしたら、面白いんだけど。 日本ではダイオウを閻魔大王にかけて落語のオチにも出てくるそうで、ヨーロッパではシェイクスピアの芝居にもルバーブが出てくるそうだし。 ・・・この論文、私では力が足りないけれども、なんか書きたくなってきた(笑)