『病床六尺』

必要があって、正岡子規『病床六尺』を読み直す。上田三四二の解説で岩波文庫から出ているものだけど、きちんと注釈がついているもので読みたいなと思うようになった。

子規の短い生涯の晩年は、結核と脊椎カリエスとの闘いであった。その時期に病床随筆の形で新聞『日本』に連載されたものは四点あるが、そのうち最後のものが『病床六尺』である。明治35年5月5日に始まり、9月17日が連載の最後であるが、その二日後に子規は没している。死に至る病の中で執筆された随筆が、ほぼリアルタイムで新聞に毎日発表されて、人々はそれを読んでいたことになる。そのダイレクトに著者の病気と死が伝わってくる感じは、最近のブログの闘病記とちょっと似たところがある。

『病床六尺』の連載が、子規にとって生の証であったところも、昨今のブログと似ているのかもしれない。新聞が子規の病状を心配して休載の日を」つくったことがあったが、そのとき子規はこう訴えたという。「僕の今日の生命は『病床六尺』にあるのです。毎朝寝起きには死ぬるほど苦しいのです。その中で新聞をあけて病床六尺を見るとわずかに蘇るのです。今朝 [ 休載の日に ] 新聞を見た時の苦しさ。病床六尺がないので泣き出しました。どーもたまりません。もし出来るなら、少しでも(半分でも)載せていただいたら命が助かります。」

この作品は、病気の歴史の中でも有名だから、過去に何回か読んでいるけれども、そのときには気づかなかったことで、わりと面白いことに気がついた。この作品の中で子規が自分の病気について直接書いている文章は、すごく少ない。数えてみたわけではないけれども、5%に満たないと思う。あとは、絵の話、俳句の話、釣りの話、植物の話、などなど。もしかしたら、闘病記って、そういうものじゃないだろうか?