イギリスのパラケルスス主義

必要があって、イギリスのパラケルスス主義についての論文を読む。文献は、Webster, Charles, “Alchemical and Paracelsian Medicine”, in Charles Webster ed., Health, Medicine and Mortality in the Sixteenth Century (Cambridge: Cambridge University Press, 1979), 301-334.

この論文集はいまから30年前に出版されたもので、「新しい医学史」の成果の中で私が最初に読んだものの一つだと記憶している。

著者のウェブスターには、Great Instauration という、記念碑的な書物がある。これは、その書物自体の研究対象を超えて、多くの医学史研究者に「新しい医学史のスカラーシップは何を目指せばいいのか」ということを教える、北極星のような役割を果たした大著である。その書物は、17世紀のイングランドにおける、パラケルスス主義を含めた医学と医療と科学研究の改革を論じたもので、話は1620年から始まっている。この論文は、それよりも少し以前の16世紀を論じていて、膨大で広範なリサーチの成果を消化して、流れるようなダイナミズムをもってパラケルスス主義の内容と文脈を記述し、しかも既存の学説を訂正している、非常に優れた論文である。

話のポイントは三つあると思う。一つは、パラケルスス主義がイングランドに根付いていく社会経済的文脈を説明した部分、もう一つは、パラケルスス主義がイングランドのピューリタンに受け入れられた理由を説明する部分、最後が、パラケルスス主義がイングランドでは現れていなかったとされる時代においても実は強力であったことで示した部分である。

第一の点においても、いくつかの要素があって、一つはアラブ圏と中世以来の錬金術の伝統は、ギリシアの「始原に帰る」ことを目標にした人文主義者たちにとっては、ギリシアを汚した不純物であったが、この伝統は人文主義によって根絶されたわけではなかったこと、もう一つが、国家や有力貴族が、鉱山技術・冶金術などを、富と経済開発に必要な技術として重視して錬金術・化学的操作を保護したことである。ときあたかも、新世界の金銀がヨーロッパを興奮させ、イングランドは「プロジェクトの時代」と呼ばれる、新しい技術の応用による経済発展がブームになっている時代であった。化学的な技術によって行われる火薬の国産化も、宗教戦争の緊張が続くヨーロッパにおいては軍事・外交上の重要な政策であった。イングランドは、錬金術や鉱山技術を持つ外国人を国外から招聘して、技術移転を図っていた。すなわち、錬金術は、国家や貴族にとって、知的興味だけでなく、また黄金を作り出すという山師的な興味を超えて、実に足がついた経済的な利益をもたらす技術であった。

第二のポイントは、パラケルスス主義自体の複雑性と、その中の重要な部分が「改革」の姿勢と共鳴したというものである。パラケルススの思想の中で、最もエリート的な部分は、フィレンツェメディチ家に庇護されたインテリたちが、ネオプラトニズムやヘルメス文書などを通じて、霊的な新生を希求した部分である。これとともに、パラケルススのガレニズム批判は、ガレニズムに基盤を置く大学内科医と対抗しうる下位の治療者(外科医や薬種商)に支持された。パラケルススが、衒学的な大学医学を無意味で効果がないたわごとだと悪罵し、それ対比させて下層の民衆や無学な農民が経験的に得た治療法を高く評価したことは、宗教における改革思想、すなわち初期キリスト教の単純性・純粋性を重んじて、その後に発達した教会の階層秩序と精妙な教説を批判する思想と共鳴した。すなわち、これまで知られていない難解な古代・中世の魔術思想を読み解くという文献学、実際に実験をして薬を精製する技術、そして宗教的な動機を基礎にして、社会にはびこる本義から外れた有害な洗練を追放しようという思想が、多角的に組み合わさったものであり、これを実現するためには、さまざまな能力を持ったものが集まって一つの「運動」を作る必要があった。ここに、パラケルスス主義が、複数の人々を一つの運動へと集合せしむる力を持っていた原因がある。これは、学者と知識人の共同体を作ることでもあり、政治運動に発展していく源泉にもなった。

第三のポイント、つまりイングランドにおけるパラケルススの影響について確定した部分が、地味だけれども、歴史学者としては一番うなるところである。16世紀末から17世紀のはじめにかけては、イングランドで出版されたパラケルススパラケルスス主義者の著作というのは確かに少ない。これから判断して、この時期にパラケルスス主義はイングランドに根付いていなかったと結論した学者たちは、優れたリサーチの上にたって、ある意味で当然の判断をしている。その定説を突破するために、ウェブスターは、当時の図書館や個人蔵書のカタログを調べ、パラケルスス主義の書物が集められているという事実、そして当時の学者たちの出版されたものや手稿などに、パラケルススの言葉が数多く抜書きされているという事実を調べ上げた。当時の知識人たちはパラケルススの著作を熱心に集め、読み、その手稿を見せ合っており、彼らが核になって、パラケルスス的な社会と自然についてのヴィジョンは一群の人々に広まり、同時代の劇作家がそれを揶揄することができるほどの広がりを見せていた。

手稿を調べて、出版数を根拠にした議論を覆したこの鮮やかな手法は、出版数を根拠に何かを論じる論文を読むたびに、私の頭の片隅に「それって本当?手稿は調べたの?」という疑問がよぎるほど、強烈なインパクトを残している。私は、ウェブスターのように、これぞスカラーシップというべき美しい仕方で定説を覆したことは一度もないけれども。