環境史入門

必要があって、環境史・エコロジカルな視点を持つ歴史の研究動向をまとめた論文を読む。文献は、Worster, Donald, “History as Natural History: an Essay on Theory and Method”, The Pacific Historical Review, 53(1984), 1-19. まだ環境史の研究ラッシュが始まっていない時期のやや古い論文だけれども、それだからこそ、自由で深い洞察が展開されていて、読み応えがある。

中心的なマニフェストにあたるものシンプルである。歴史の研究と<自然>の研究が乖離している現状は望ましいものではない。だから、歴史学者は、エコロジカルな視点を持たなければならない。これに、歴史学にダーウィンの視点を導入しようだとか、かつての「自然史」のアマチュアが、人間の手になる古い遺物と、その地方の生物の双方を集めていた「人為と自然」をともに扱う視点を導入しようだとか、ちょっと難しくなるようなことを付け加えてしまっているが、それはまあいい。

1950年代にかけて文化人類学の中で展開されていた「生態学的人類学」が、環境史の主たるインスピレーションであったという指摘の中で、ジュリアン・スチュワード(Julian Steward) というパイオニアが紹介されていた。私はもちろん初めて聞く名前だけれども、彼が「文化のコア」という概念で、「生存 (subsistence) 活動と、経済活動と明確に関連している特長の結合体」を考えているとのこと。私が東北の漁村のコレラで考えようとしていたことは、まさしくこの問題であった。この論文を推薦してくれた先生に心から感謝。

もう一人、ちょっと面白い人物が紹介されていた。20世紀の前半から中葉に仕事をしたヴィットフォーゲルというドイツからアメリカに亡命した地理学者で、マルクス主義者から反共主義者になったといういわくつきの経歴を持っていて、あまり学者たちには好かれていないけれども、重要な業績があるそうだ。ヴィットフォーゲルは、マルクス主義時代に、人間が自然とどのようにかかわり、どのように生産活動を営むのかということが、法や政治や社会を決定する下部構造になるのだという主張をしていて、乾燥したアジアにおいては、大規模な水利灌漑を行う必要から、強力な皇帝と巨大な行政組織をもつ社会が発展したという。アジアをこのように捉えるヴィットフォーゲルの考え方は、1920年代から30年代にかけて発表されているが、これは和辻哲郎が『風土』で捉えたアジアと、さまざまな意味で対照的である。和辻にとってアジアはモンスーンであって乾燥地帯ではなく、また和辻はマルクス主義的な枠組みではなくて文化や人々の意識を重視した。和辻は、ヴィットフォーゲルを読んでいたのかなあ。