優生学の国際比較史

必要があって、優生学の国際比較史の視点と最近の各国の研究動向をまとめた論文を読む。文献は、Dikoetter, Frank, “Race Culture: Recent Perspectives on the History of Eugenics”, American Historical Review, 103(1998), 467-478. 著者は近代中国の医学と社会についてたくさんの本や論文を書いている学者。

日本では、障害者の当事者主義の活動家たちの間ではもちろん、一般の人々の間でも、「優生学」というのは非常にネガティヴなイメージで語られている。おそらく、ナチスとハンセン病患者と遺伝性の障害者の断種を思い起こさせるからだろう。そのようなイメージを日本人が持っているのは、どちらかと言えば良いことだと思う。しかし、歴史はやはり的確に教えなければならないから、授業で優生学を教えるときには、20世紀の前半に「優生学」と呼ばれた現象の多様性と複雑性を強調することにしている。優生学というのは、「ある明確な科学的な原理ではなく、社会問題を生物学化された仕方で語る近代的な方法であった」(この論文の冒頭のせりふで、これはとてもいいまとめ方だと思う)。だから、共存し得ない政治的な立場の人々や、対立してしかるべき思想の科学者たちも、「優生学」という言葉を使った。いずれも、生物学的な法則から導かれる政策・方法で当時の社会問題を理解し改善しようとしたからである。重要なことは、「生物学に基づいて」という点である。優生学はそれが生物学に基づく(と主張する)ことで、社会不安やモラル・パニックに信憑性を与え、人種論にリスペクタビリティを与え、断種法と移民法を正当化するものであった。一方で、北欧諸国のように福祉国家建設の道具として優生学が唱えられた例もあったし、フランスのように妊娠してからの母親の福祉を優生学と呼んだ国もあったし、メキシコのように革命後の人民を統一するものとして使われたこともあった。スペインでは無政府主義者が優生学を唱えたそうだ(笑)。

筆者は、優生学を、個人の権利を拒否して集合的な利益を強調するレジームにおいて採用されやすいというようなことを書いていて、1930年代のスウェーデンもそうだし、現代の中国もそうであるというようなことを述べているが、これはちょっと首をかしげた。もうひとつ、20世紀前半のフィンランドやアメリカ南部、現代の中国で強力な優生学が展開したことを根拠にして、医学のリサーチの周縁部にあり医学の専門家から抵抗がないような地域では優生学的な政策が行われやすいというようなことを言っているが、これは、失礼だけれども、かなり首をひねる仮説としか思えない。優生学の本拠地であったドイツは並ぶものなき医学研究の中心であった。優生学ナチズムで代表させないということは、ドイツの例をまったく抜かして考えていいということではない。