大脳生理学と文学

必要があって、林髞(はやし・たかし)の評論を読む。文献は、林髞『科学主義・その他』(東京:太陽閣、1937) 林は、1932年から33年にかけてパブロフのもとに学んだ大脳生理学者。

本書は、林があちこちに書いた数多くの評論を掲載しているが、生理学と文学、パブロフとソ連の思い出、科学認識論の三つに分けることができる。パブロフの想い出は、雑感的なものだけれども(ソ連の薄い紙と薄いインクにはだいぶ悩まされたらしい)、それ以外は、どれもかなり質が高い評論になっている。特に、大脳生理学者としての研究と、文学研究・創作という二つの領域の仕事が、どのような関係にあるのかということを論じた『文芸春秋』に発表した随筆は、彼の決意表明というべきもので、面白い。同じ慶應医学部の教授の宮島幹之助に、最近「文章を玩ぶ」邪道に入っていると言われたのにカチンときて、そのように陰口を叩く人たちを念頭において書いたものである。「恐らく、深く哲学や文学を味到するの習慣を持たない人が、大脳生理学の研究に従事することは、或る一定の段階以上においては無駄であるだろうと考えるようになった」という、強い立場を表明した随筆である。最近、「クオリア」という概念で文学や美学について発言する脳科学者が活躍しているが、そのように思っているのだろうか。

林は、1930年代から木々高太郎のペンネームで探偵小説を数多く発表し、医学随筆・生理学評論も数多く書いている。戦後、慶應義塾大学の医学部・生理学教室の教授となり、一般向けに生理学を解説した書物、科学概論などを数多く執筆している。文学者との交流も多く、本格的な伝記研究の格好の素材だから、ぜひ研究してください(笑)