フィレンツェのペスト


必要があって、ボッカッチョ『デカメロン』の冒頭におかれた1348年のペスト(いわゆる「黒死病」)の記述を読みなおす。柏熊達生訳のちくま文庫。

トゥキュディデスと重なる部分がかなりあって(知っていたのかしら?)、疫病に襲われたフィレンツェの悲惨な光景を描いているけれども、ボッカッチョの記述には、ある種の柔らかさのようなものがある。それを一番感じるところが、ペストの感染を恐れて、家族がペストにかかると、たとえ自分の子供であっても見捨てたという道徳の崩壊を描いた直後に続けられる部分である。そこでは、召使の仕事、看護の仕事をするものが激減したので、女たちは、それが、可愛らしかったり、美しかったり、しとやかだったりする女性でも、罹病したら、だれかれ構わず看護させ、たとえ若い男であっても、その男に「肉体のどんなところでも、だして見せることを恥ずかしいとは思いませんでした」という記述が続けられ、そこで記述が一段落して内容的に切れている。トゥキュディデスが道徳律と法と宗教の完全な崩壊で記述を閉じているのに対し、ボッカッチョは、好ましい女性が慎みを失い、若い男性にいつもは秘められたからだの部分をあらわにしているという記述で締めくくっていることになる。これはもちろん、ボッカッチョの『デカメロン』が、ペストから逃避して山の中の別荘に逃れた若い貴族の男女がエロティックな小話をするという、作品全体の構造と関係がある。つまり悲惨な疫病のペストの記述の中に、ボッカッチョは、美しい女性の身体を覗き見するような甘い興奮を混ぜ込んで、以下に続く物語を魅力を垣間見せているのである。それはそれで魅力的だが、トゥキュディデスのほうが断然格調が高いのは言うまでもない。こちらのほうは、その後に続く、ギリシア社会の黄金時代の終焉を予兆する、悲劇の始まりなのだから。

私が持っている『デカメロン』は、20年以上前に買ったちくま文庫から出ている三巻本だけど、それはそれは美しくエロティックなカバーがつけられている。大矢英雄という有名な画家の手になる作品で、ボッカッチョの優美さとエロティックな感じを的確に捉えていると思う。

画像は、第一巻の表紙。