実験生理学の歴史

必要があって、実験生理学を論じた古典的な論文集を読み返す。文献は、Coleman, William and Frederick Holmes eds., The Investigative Enterprise: Experimental Physiology in Nineteenth-Century Medicine (Berkeley: University of California Press, 1988).

19世紀のドイツとフランスで実験生理学が医学教育と医学研究の中に確かな地位を占めるようになったことはよく知られている。病院の患者というかけがえのない・ひとまとまりの主体を扱うのではなくて、動物の生理指標を実験的に操作してその結果を観察することで、ある生理的な機能を厳密に取り出して研究することができるようになった。ポール・ヴァレリーの「真の問題を取り出すほど難しいことはない」という言葉は、科学研究の「キモ」を説いたものとして有名だけれども、この時期の実験生理学の進展を見ると、ある問題を「取り出す」ために、天才のひらめきを感じさせる実験が設計されていて、とても面白い。

「天才のひらめき」という言葉を使ったけれども、この論文集は、孤独な科学者が思索にふける場としての実験室ではなくて、大学―医学部―国家の中に位置づけられた実験室を分析した論文を集めたもので、どれも古典になっている。ただ、この論文は、実験室が置かれた大学や(領邦)国家といったセッティングが、実験という「エンタープライズ」に影響を与えたという、ローカリズムの発想に基づいている。私がいま考えている現象は、大きく違う側面を持っている。それは寒い満州の実験室で発汗を研究した成果を熱帯地方への移民に適用しようという、ユニヴァーサリズムの側面を持っていて、これを成立させた歴史的な条件は何かということを明確に言わなければならないだろう。