発疹チフスの歴史

必要があって、発疹チフスの歴史で、疾病史の古典的な著作である、ハンス・ジンサー『ネズミ・シラミ・文明』を読む。橋本雅一訳がみすず書房から出ている。何回か目を通したことがあったけれども、今回は、発疹チフスについてちょっと真剣に調べ物をしているので、議論の細かいロジックがよく頭に入る。

発疹チフスは、20世紀のはじめにフランスのC.J.H. ニコルが、シラミによって媒介することを発見したリッケチアによる感染症である。長いこと、「野営熱病」「塹壕熱病」「監獄熱病」「飢饉熱病」などの色々な俗称で呼ばれてきたが、これは、軍隊の野営地や塹壕、あるいは監獄などの劣悪で過密な環境で頻繁に見られ、飢饉のときに浮浪民化した人々が居住する劣悪な住居で発生するからである。軍隊行動に随伴するものとして、発疹チフスは、他のどの病気にもまして、世界史のゆくえを左右することが多かった病気であると、ジンサーは興奮気味に書いている。これは正しいのだろうし、それはそれで面白いけれども、この本の議論の本当のコアはそこにはない。

話のコアは、発疹チフスを起こすリケッチアに二つのタイプがあること、その二つのタイプを使った実験から、発疹チフスの進化を再構成する話である。一つは、ネズミの間を、ノミ・シラミが媒介して感染し、時折人間がかかってあらわれるもの。これは、人間には散発的にしかあらわれず、せいぜい小流行にしかならない。こちらを「ネズミ型」とジンサーは呼ぶ。一方、ヒトとヒトの間をシラミ(これは、アタマジラミとコロモジラミの二種類があるそうだけれども、そこは関係ない)が媒介するもので、これをジンサーは「ヒト型」「ヨーロッパ型」を呼ぶ。ジンサーは、この二種類のリケッチアは、それぞれ安定した独立したものであるが、流行のときに生じたその変異種を調べると、ネズミ型からヒト型に変化したようなものも生まれる。実験から推測できることは、ネズミ型が、本来のより古い発疹チフスであり、そのリケッチアが、ヒト―シラミ―ヒトというサイクルの中に長期間おかれると、ヒト型になるのだろうと考えている。そして、この進化はヨーロッパで起きた。20世紀のアメリカにヨーロッパから移民した人々がこの病気を持っていたことからも、それがヨーロッパ起源であることが知られる。つまり、ネズミ型が、ヒト型に、歴史上のある時点においてヨーロッパで進化したのである。

その進化を起こした条件は、シラミが、ヒトからヒトへと発疹チフスの病原体を運ぶことができることである。これが大規模に起きることができるのに理想的な環境が、兵営や野営地に他ならない。16世紀から17世紀のヨーロッパの宗教戦争などの激しい戦争が、ネズミ型のリケッチアの源泉を背景に、ヒトからヒトに感染する(つまり被害が大きくなる)発疹チフスを生み出したのであるとジンサーは推測している。

言葉を換えると、長い戦争があって、兵士が野営地で劣悪な生活環境におかれても、発疹チフスの病原体が輸入されていなければ、発疹チフスによる大規模な被害はないということになる。日本の戦国時代に、人口は減少するどころかむしろ増加に向かっていたことは、このメカニズムで説明できるかもしれない。