江戸時代の大店が「見張って」いたもの


必要があって、『近世風俗誌』を読みなおす。岩波文庫の5冊本で、江戸、京都、大阪の人々の暮らしぶりが書いてある。喜田川守貞という人物が19世紀の日本の都市の風俗について書きしるしたもの。絵もはいっているし、百科事典風に分類されているので、とても使いやすい。私が、江戸時代や明治初期の家や街のつくりとコレラの伝播について、おずおずと(というより、こそこそと、といった方が適切かもしれない・・・笑)書いたり口にしたりしてきたことは、だいたいこの本から仕入れた知識です(笑)

家のつくりのイラストを眺めていたら、面白いことに気がついてしまったので、クイズ仕立てにする。下のイラストは、「京阪巨戸豪民家宅の図」(第一巻77ページ)で、京・大阪の金持ちの大きな家だけれども、図でいうと右下に「垣外番小屋」というのがあって、説明には次のように書いてある。

「垣外番小屋」、巨戸には別に戸の辺りにこれを置いて門を守らしめ、夜は提灯をかけて、○○を防ぐ。どの「坊」にも必ず垣外番一所あり。巨戸はべつにこれをおくなり。

「番小屋」というものが街角ごとにあり、大きな家はそれとは別に独自に番小屋をおいてあり、そこには「番太郎」と呼ばれる番人がいた。(いや、この「番太郎」という表現が、なかなかいい。警備会社のガードマンも「番太郎」かと思うと、なんか憎めない気がする。)そこで、番太郎たちは、夜に提灯をともして、いったい何を防いでいたんでしょうか? ま、クイズにして聞くからには、火付け盗賊の類とはちょっと違います。 もしかしたら、これはすごく有名な話で、知らなかったのは私だけかもしれない。