エビデンス・ベイスド・メディシン

新着雑誌が、エビデンス・ベイスド・メディシンの特集だったので、イントロダクションなどだけ、さっと目を通す。文献は、Perspectives in Biology and Medicine, 52(2009), no.2.

EBMが導入されたときには、反権威主義なものとして捉えられていたという。かつての、若い駆け出しの医者が、臨床の経験豊富な先輩に「カン」のような直観的な判断を学んで成長するというモデルを否定している側面を持つからである。EBMは、臨床現場のカンではなくて、研究文献から最善の治療法を導くこと、それも、ランダム化二重盲検を頂点とする実験的な方法で得られた証拠を最高のものとする(場合によっては、唯一のものとする)原則にのっとって、臨床の性格を大きく変えるものであった。しかし、個々の臨床医が、膨大な文献をサーチしてそれをまとめることは、現実的な方法ではないので、時間を節約するために、臨床の経験のまとめやプロトコルの類がさまざまな組織によって作られた。さらに、この多様なプロトコルを整理する必要が生じ、2004年には GRADE (Grading of Recommendations, Assessment, Development and Evaluation) が作られて、EBMはスタンダード化されたといえる段階に達する。当初は反権威主義的なものとして始まった運動が、急速に権威の座についたわけである。

その結果、RCTだけではなく、異なった方法でとられた「証拠」にグレードをつけて、これを統合する必要が生じた。EBMは「その証拠はどれだけ強いのか」ということを基準にして証拠の間に序列をつけるようになった。それとともに、「証拠はすべて公共的な知識になっているのか」という問題が重要になった。特に、製薬会社が、製品の薬に不利な証拠を隠しているのではないかという疑いは根強いし、実際に、そのようなケースも多数存在するという。さらに、「証拠とは何か」という科学哲学の議論が、保健医療と臨床にとって重要になってきた。特に、EBMが歓迎されたイギリスやカナダにおいては、アメリカと違って医療は公的資金・税金で賄われているので、税金を最善の仕方で使うという説明責任が意識されるという事情もあるという。