徳川幕府の医家・多紀氏



必要があって、徳川幕府の医学界の中心であった「多紀氏」についての書物を読む―というか、使い方を確認する。文献は、森潤三郎『多紀氏の事蹟』(京都:思文閣出版、1985) 

1985年に刊行されているが、もとはと言えば昭和8年に出た書物を再版したでものである。また、著者は森鴎外の系列の人物で、考証学者・文献学者であり、古文書や古書を広く渉猟し、一次的な情報をできるだけ加工しないで提示している。基本的に、史実を生のまま記録している書物であり、(少なくとも私には)資料集の性格を持っていて、とても便利である。

もともと多紀氏が建てた医学校を官立にしてできた、医者の教育機関である医学館の場所と、その構内図を付す。これは、徳川時代の伝統的な医学校の多くがそうであったように、外来診療の機能しか持たない医学校付属の病院である。薬は無料であったし、医学生たちが診療して仮の処方をし、それを教師がチェックするという仕組みをとっていたので、最終的には将軍つきの奥医師に診てもらうのと同じことというわけで、大変人気があったという。患者は原則外来で、50畳敷きの部屋で診て貰ったら自宅に帰る仕組みだったけれども、医学生たちが医学館に寝泊りするための寮はあった。

病院に寝泊りするのが、患者ではなく、医学生だったっていうのは、ただの偶然かなあ。きっと違うんだろうな。