20年前の医療改革

必要があって、20年前の医療改革を論じた論文集を読む。文献は、姉崎正平・池上直己編『世界の医療改革―政権交代は医療を変えるか』(東京:勁草書房、1991)

医療政策の国際比較という主題は、政治学者や社会学者が論文を書きやすいテーマである。先進国だと医療費がGDPの10%程度をしめるご時勢だから、現在の医療は政府にとっては巨大な支出部門であり、色々な意味で巨大なビジネスにもなっている。医療政策学者・医療経済学者の大軍が必要になるのは必至で、医療保健の国際比較のための便利で使い勝手がいいデータベース(OECD Health) などもある。私自身は、その手の問題を自分で調べたことはないけれども、時々必要があって、レファレンスを見たり、昔読んだ本をひっくり返したりする。いや、できるだけ新しい知見をよしとする政治学や医療政策学の研究者に言わせれば、1991年に書かれた本を読んでいること自体が大問題なんだろうけれども(笑) 

編者の一人の池上直己が書いている、サッチャーによるNHSの改革を論じたものが、今でも読み応えがあった。サッチャーの改革はNHSという組織の中に内部市場を導入したことで悪評が高いが、この論文は、サッチャー改革を反社会主義のイデオロギーとして読むという、正しいけれども紋切り型の解釈とは違うものを提示している。その一つは、エリート医師たち(「コンサルタント」と呼ばれる、紹介診療をする医師たち)の取り扱いの問題である。NHSが創設されるとき、当事の医療の実権をにぎっていたロンドンのエリート名門病院のコンサルタントたちに、医療の国営化を受け入れさせるための交渉のカードとして、当事の保健省のベヴァンは、コンサルタントたちに大きな譲歩をした。たとえば私費診療を認めたり、彼らの自律を許したり、病院の権限を彼らが握るシステムを温存したりといった具合である。これから離脱したものとしてサッチャーの改革を捉える見方である。そんな見方もできるんだと、とりあえず素直に感心した。それ以外にも、政党によって医療費の伸びや患者の自己負担率は変わっていないという面白いグラフもあった。

これは、池上は年代は特定していないけれども、1960年代だろうか、労働党の保健大臣のクロスマンという人物は、以下のように書いているという。

「人口構造の圧力、技術進歩の圧力、民主主義的な公平性を求める圧力、いずれもが、文明社会が必要と考える医療福祉のレベルを、社会が負担できる水準よりもはるかに高いところまでに押しやっている。財政が好転さえすれば、医療福祉部門が要求しただけの予算を大蔵大臣が与えてくれると考えるのはまったくの幻想である。」

これが、イギリスでは40年前のせりふなんだ。的確にして正直だなあ(笑)